2019年10月30日

ランカトーレ&ヴルタッジョ講演会(2019年10月29日)

 トリエステ・ヴェルディ劇場公演《ラ・トラヴィアータ》のために来日されたソプラノのデジレ・ランカトーレとバリトンのフランチェスコ・ヴルタッジョそしてピアノのロベルト・モレッティの各氏による講演会が、当協会の主催により2019年10月29日にイタリア文化会館アニェッリホールで開催されました。通訳は当協会会員の井内美香氏、司会進行は加藤浩子常務理事が担当。
日本でも人気があり、しかも東京公演では聴けないランカトーレさんが生出演するとあって当日は多くの非会員の皆様にもお集りいただき、入場者数240名という大盛況でした。
まずは、ランカトーレさんが《ラ・トラヴィアータ》で一番好きなだという第3幕のアリア<Addio del passato(さようなら、過ぎ去った日々よ)>を繰り返しつきで熱唱。
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その後で、対談に入りました。
ランカトーレさんは、2007年にベルガモ・ドニゼッティ劇場《ランメルモールのルチア》公演で初来日していますが、実は日本で聴衆の前で歌ったのはこのアニェッリホールが最初とのことです。そして、声の成熟とともに芸域を広げ、ヴィオレッタ役は2013年から歌い始め、日本での公演は今回で3回目とのこと。まずは、なぜこの第3幕のアリアが一番好きなのかと問われ
「第1幕とは違う、真実の魂の言葉が語られているから。特にいわゆる第2番に<(娼婦であったために)世間から遠ざけられた自分のお墓には、涙も花も、名前が刻まれた十字架も供えられない>という彼女の悲痛な心を歌う重要な歌詞があるので、私は必ず繰り返し部分(2番)も歌うようにしているのです。」
そして《ラ・トラヴィアータ》という作品については、「母も歌手で、私は小さい時から劇場で育ち、ヴィオレッタには3歳の時からあこがれてました。正しく歌えるようになる時が来るのをずっと待っていた役なのです。」と思いを語り、前々回のプラハ来日公演の時とはまた違ってきている印象を受けるが、という問いに対しては「役というのは子供みたいなもの。どんどん育っていくのです。
2013年から歌い始めたヴィオレッタの役も6年間で、声楽的にも精神的にも大きく成長しました。」
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 そこで、司会者から最近「ご結婚されたそうでおめでとうございます。」という話題を振られると、「結婚して精神的な安定を得られ、ますます芸に専心できるようになったと思います。夫も音楽関係者なので家庭でも音楽のことを忘れることはできませんが、幸いクラリネット奏者なので声は出しません。(笑)実は、私の父もクラリネット奏者だったのですよ。母はソプラノといってもドラマティックな方だったので、私が若くてレッジェロのソプラノだった頃、どうしてそんな高音が出るのかと聞かれて<父が出すクラリネットの音を受け継いだのよ>と答えたことがあったわ。(笑)」と、思いがけない楽しい話が飛び出しました。
 バリトンのヴルタッジョさんは、まだ若く(1982年生まれ)今まではベル・カントのレパートリーを歌ってきており、父ジェルモン役はこの日本公演が初めてとのこと。ジェルモンは悪役というイメージもあるが、どのように捉えているか、と聞かれると
「ジェルモンは世間的なことを気にする人物であり、そうした世間を代表しています。その彼が息子と別れてくれといってもヴィオレッタはなかなか承知しません。その時に彼が切り札として持ち出したのが、もう一人の娘が清純・無垢であるということ。自分はそうでないことを知っているヴィオレッタをそうやって説得していくのです。」
また、今まで歌ってきたベル・カントの諸役とヴェルディの違いは何かと聞かれ
「必要とされるベル・カント唱法や声楽技術においての違いはありません。違うのはより人間的な感情表現ではないでしょうか。」
 ピアニストのモレッティさんにも、ソロのピアニストと伴奏者としての違いや、《ラ・トラヴィアータ》の魅力について語っていただきました。
「一番の違いは呼吸ですね。ソロの場合は、自分の呼吸で演奏していればよいのですが、歌手の伴奏の場合は、歌手の呼吸に合わせて歌いやすいように弾く必要があります。また、本来オーケストラの曲をピアノで弾く場合は、できるだけその音色の特徴が出るように考えています。」
 対談のあと、《ラ・トラヴィアータ》の中でも中心となる約20分の大曲、第2幕ヴィオレッタとジェルモンの二重唱<Pura siccome un angelo (天使のように清らかな娘を)>を演奏していただきました。
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 そして、その興奮も冷めやらぬ中、司会者からサプライズの紹介がありました。本日の出演者3名の生まれ故郷シチリア最大の歌劇場、パレルモのマッシモ劇場が来年6月に《ノルマ》と《ナブッコ》で来日公演を打ちます。その《ノルマ》の主役を歌うランカトーレさんが、この作品で最も有名なアリア<Casta Diva (清らかな女神よ)>をこの場で歌ってくださるというのです。
 そして、モレッティ氏のカンタービレに満ちた美しい前奏に導かれてその演奏は始まりました。
ドラマティックなヴィオレッタの歌とはうって変わった神々しい祈りの曲が、素晴らしいスピアナート唱法で歌われ、大喝采のあと、この曲についてのインタビューも行われました。
 ランカトーレさんがノルマを歌い始めたのはつい最近、2018年からのこと。彼女にいわせれば故郷シチリア出身のベッリーニはベル・カントの「Il Re(王)」といわれる存在。その彼の作品の中でも《ノルマ》は別格の作品でいわば「La Regina(女王/王妃)」。それにふさわしい歌唱ができるようするには誰をお手本とすべきか、と考えたそうです。もちろんノルマといえばマリア・カラスですが、カラスの声はそれこそ別格で自分とはタイプが全く違うので、自分の声やスタイルに近いタイプの名歌手として、ビヴァリー・シルズとマリエッラ・デヴィーアを考えられたそうです。泉下のシルズさんに教えを乞うわけにはいきませんがデヴィーアさんはまだ健在なので、その教えを乞いました。そして、デヴィーアさんを表とするダブル・キャストの裏として《ノルマ》出演を果たしたのだそうです。そして、同じタイプとはいえ、師匠と自分にも違いはある。完璧なテクニックをもつデヴィーアさんのノルマが神々しい巫女であるとすれば、リリコの声を持つ自分のノルマはもっと人間くさい「女」としての側面を強調したものになると思います、とのことでした。バッティストーニが指揮をし《ナブッコ》も上演されるということで、来年のマッシモ劇場公演が待ち遠しくなる歌とお話を聞くことができ、大喝采のうちに講演会は終了しました。 (Simon)※
※この講演録は筆者が当日聞き取った内容に基づいたものであり、筆者の聞き間違いによる不正確な記述があるかもしれません。内容に関する責任は全て筆者にあります。
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2019年07月15日

小畑恒夫講演会<ヴェルディ「中期三大傑作」のルーツ〜パリの大衆演劇、メロドラム>(2019年7月14日)

 7月14日(日)、日比谷図書文化館スタジオプラスで当協会理事長小畑恒夫の講演会が行われました。
ヴェルディの《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》(1953年初演)《イル・トロヴァトーレ》(1953)《リゴレット》(1951)は世界中で最もよく上演されるオペラで中期三大傑作といわれます。これらに《スティッフェーリオ》(1850)《ルイーザ・ミッレル》(1849)を加えた5作をヴェルディの「中期」「円熟期」の作品と小畑氏は考えています。これらの作品群によってヴェルディはそれまでのオペラにはなかった革新的な手法を確立し、オペラを声や音楽だけではなくドラマと密着した舞台芸術とすることに成功しました。
 これに先立ち、1847年7月から1849年7月までの約2年間、ヴェルディは後に妻となるジュゼッピーナ・ストレッポーニと同棲する形でパリに滞在して様々な刺激を受けます。その中のひとつが、当時パリで流行っていた大衆演劇「メロドラム」であったのではないか、というのが今回の講演のテーマでした。
 ラシーヌ、コルネイユらに代表されるフランスの古典劇が行き詰まり(モリエールからボーマルシェへと受け継がれてきた喜劇の方はある程度活力を維持していたが)、ユゴーの『エルナニ』によってロマン主義演劇が登場するまでの過渡期である帝政期に現れて大衆に支持されたのがメロドラムでした。メロドラム(メロドラマ)の「メロ」はギリシア語の「メロス(歌)」に由来し、「音楽付き」のドラマであったことが特徴です。役者によって語られるセリフによって劇が進行する点は普通の演劇と変わりがないのですが、効果音や情景を語るものとしてオーケストラによる音楽が演奏され、時によっては合唱が挿入されることもあったそうです。
ヴェルディが住んでいた頃のパリでは「犯罪大通り」と呼ばれる界隈にこうした大衆演劇を上演する「歴史劇場」「ポルト・サン・マルタン劇場」などの芝居小屋が立ち並んでいたそうです。ヴェルディはおそらくストレッポーニを案内役としてオペラだけでなくこうした大衆演劇にも足しげく通っていたことが当時の手紙から推察されるのでした。
 この日の講演では、当時のメロドラムに使われた音楽の楽譜がいくつか残っており、その中からヴェルディが自分のオペラに転用したと思われる譜例がいくつか紹介されたほか、中期5作品におけるメロドラムの手法の影響を受けたと思われる部分(主として歌らしからぬモノローグや対話が登場する場面の音楽の使われ方)についてDVD上映によって具体例が示されました。
 筆者にとっても非常に刺激的で新しい発見に満ちたお話でしたが、来場者のアンケートでも「斬新で興味深いテーマだった」「ヴェルディ協会ならではの内容だった」「内容が充実していて、しかもわかりやすく満足した」といった感想が聞かれ、好評でした。          (Simon)

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2018年10月07日

《群盗》レクチャー・コンサートを実施しました(2018年9月30日)

 2018年9月30日(日)に北区の旧古河庭園大谷美術館で《群盗》レクチャー・コンサートを実施しました。この大正6年竣工の洋館(旧古河男爵邸)で当協会がコンサートを行うのは3回目。ヴェルディ初期の珍しいオペラを紹介するレクチャー・コンサートとしては第2回にあたります。
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 当日は台風24号が接近する心配な天候の中、83名のお客様にご来場いただき、満員の盛況となりました。
 フリードリッヒ・フォン・シラーの原作による《群盗》は、ヴェルディの11番目のオペラで、彼が33歳のときロンドンで初演されました。そのせいか、イタリアでも滅多に上演されないこの作品ですが、イギリスでは高く評価する人も多いらしく、評論家のチャールズ・オズボーンはその著書の中で「ヴェルディの『苦役の時代』の中でも最も霊感に満ちた作品のひとつだと言い、かのバーナード・ショーが94歳で亡くなるまでピアノのそばに常に《群盗》のヴォーカルスコアを置き、折にふれて自らピアノを弾きながら歌ったというエピソードを紹介しています。
 当日は《群盗》作曲の経緯とあらすじ、楽曲の解説を実演つきで行いました。
 演奏は、アマーリア(ソプラノ)を照屋江美子、カルロ(テノール)を谷川佳幸、フランチェスコ(バリトン)を黒田祐貴、マッシミリアーノ(バス)とモーゼル(バス)を崎翔平、ピアノを高島理佐の皆さんにお願いし、解説は当協会専務理事の武田が担当しました。
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 実演したのは、第1幕からカルロ、フランチェスコ、アマーリアの各アリアとアマーリアとマッシミリアーノの二重唱、第2幕からアマーリアとフランチェスコの二重唱、第3幕からアマーリアとカルトの二重唱、第4幕からモーゼルとフランチェスコの二重唱、マッシミリアーノとカルロの二重唱、カルロ、アマーリア、マッシミリアーノの三重唱の9曲。いろいろな声種の組み合わせによる重唱曲の面白さを楽しんでいただく企画としました。
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 藤原歌劇団のコレペティトゥアとして経験豊かな高島理佐さんの素晴らしいピアノ演奏に乗って歌手の皆さんも熱気のこもった歌唱を披露され、ぜいたくな生演奏による「聴きどころつまみ食い」を堪能いただけたものと思います。
 コンサートのあとの懇親会は帰りの交通情報を気にしながらの少々慌ただしいものとなりましたが、参加者の皆さんからは大好評をいただき、「こんな良い曲をなんでもっと聴く機会がないのかしら」というコメントも聞かれたのは主催者としてたいへん嬉しいことでした。              (Simon)
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2018年07月01日

第3回寺倉寛講演会「青春のジュゼッペ・ヴェルディ」(2018年6月30日)

 アッバードからムーティの時代にミラノ・スカラ座オーケストラで25年間ヴィオラ奏者を務めた寺倉寛さんの講演会。2015年、2016年は大阪市立公会堂で開催しましたが、今回は大津市のびわ湖ホール小ホールで2018年6月30日に開催されました。今回も聴き手は落語作家の小佐田定雄さんです。
当日は15時からびわ湖ホール大ホールでバーリ歌劇場《イル・トロヴァトーレ》の公演があり、それに続けて19時からの本講演会ということで多くのお客様の来場が見込まれたのですが、天候のハプニング。夕刻に大きな雷雨があり、落雷の影響でJRや京阪が運休。オペラに来場していた人はよかったのですが、この講演会のために大阪・京都方面からの来る方に大きな影響が出てしまいました。それでも、寺倉さんの意向で講演会は定刻に開始しました。
「ミラノ・スカラ座はいつも定刻開始」というお話から対談はスタートします。イタリアでは珍しいことですが、スカラ座は20時の開演時間をきっちり守るのがトスカニーニ以来の伝統とのこと。小佐田さんがすかさず「日本では開演の合図にベルやチャイムが鳴りますが、スカラ座は、何も鳴りませんな。その代わりに、シャンデリアの明かりが点いたり消えたりする。あれはカッコええですなあ。」
(以下、「私」とは寺倉さんのことです。)
その開演時間とも関係ありますが、ある残念な事件を思い出します。スカラ座の音楽監督として19年間君臨したリッカルド・ムーティが2005年に解任されてしまいました。オーケストラ団員の圧倒的多数が不信任投票に賛成したため、と言われていますが、実態はそんなものではありません。本心からの反ムーティ派はほんの5〜6人だったのに、彼らが世間知らずの若い音楽家たちを説得して回った結果、ほとんど無関心だった8割の楽団員が不信任に賛成してしまったのです。もちろんこの解任劇の裏にはいろいろな政治的思惑も絡んでいました。私は(ムーティを支持する)残りの2割の方でしたので、よかった。今でもマエストロに顔向けできますからね。
さてその時にオケ離反の原因のひとつとして取沙汰されたのが「ムーティがスト破りをした」というエピソード。オーケストラがストライキを行った時に、ムーティがピアノ伴奏でオペラ公演を「強行してしまった」というものです。その日私は非番のためスカラの上階にあるリハーサル室で練習をしていました。どうも下の方でもめ事があるらしい、というのでオケピットの入口に降りて行ってみると、いつもなら開演15分前にもなると楽団員たちがウォーミングアップの音出しや練習をしているのに誰もいません。一方で客席にはお客が詰めかけ大変な熱気です。演目は人気の《ラ・トラヴィアータ》ということもあったのでしょう。ふつうなら、オーケストラがストライキを打つときには劇場側が事前に観客に告知して払い戻しの手続等をするものですが、何かの手違いでそれもなかったようです。開演時刻になっても空っぽのオケボックスを見て観客たちが騒ぎ始めました。総裁が舞台に出ていって事情を説明し、チケットは払い戻しますと言いますが誰も納得しません。総裁がすごすごと引っ込んだあとも席を立つお客はいないのです。場内はますます殺気立ってきました。これは大変なことになったと見ていると、舞台にピアノが1台運ばれて来ました。スカラ座にはスタインウェイのフルコンが5台あるのですが、それではなく練習用の標準サイズのグランドピアノです。そしてムーティがスコアを持って登場。歌手たちも登場して演奏会形式でのオペラ公演が始まったのです。観客たちは大喜びで、ことなきを得ました。ムーティはその場をおさめるために臨機応変の対応をしただけなのですが、結果的には「スト破り」のようなことになり、一部の団員に恨みが残ったという次第なのです。
通常オペラのソリストたちの練習は、コレペティトゥアという専門のピアニストによって行われるのですが、ムーティは必ず自分でピアノを弾いて稽古をつけていました。ですからピアノによってオペラ全曲を弾いてしまうのも彼にとっては造作もないことだったのです。
私は、アッバード時代の終わり頃にスカラ座に入りました。当時のオケはひどいもんだったのですが、それはアッバードのせいとはいえません。オケの組合と折り合いが悪くなっていて、彼はあんまり指揮をせず、客演の指揮者ばかりが交代で来ていました。マーゼルとかサバリッシュのような大物の時はまだいいんですが、それ以外の人は、やっぱり次も呼んでもらいたいものだからオケに遠慮して何も言えない。オケを甘やかしていたんですな。指揮者が棒を振り下ろしても音がいっぺんに出てこない。バラバラです。それをムーティが音楽監督になってから力関係が逆転、一歩一歩直して行って、オケも合唱もレベルが上がりました。
そんなムーティが解任されたときには、新聞の取材を受けました。名前を出さない条件で応じたのですが、翌朝の新聞をみると「東洋人の楽団員がこう言った。」と書いてある。まるわかりですわな(笑)。いろいろな人に「あれはお前か」と言われる。その時合唱団に韓国人がふたりいたので「彼らでしょう」といってごまかしました。
<小佐田さん>「そのミラノ・スカラ座に私も行かしてもらいました。3年前にこの対談を頼まれた時です。ヴェルディ協会の高岡さんに<平野に行ってもらえませんか?>と言われたので、平野やったら電車ですぐですから<ああ、ええですよ。>と答えたんです。ところがどうも様子がおかしい。<何日くらい休めますか?パスポートは持ってますか?>と聞かれる。これが平野やなしにミラノやったんですわ。(笑)」
 そうなんですよ。イタリア語はふつうアクセントが終わりから二番目に来る。だからミラノも「ミラーノゥ」と発音する人がいるんですが、これが違うんですね。「平野」と全く同じアクセントなんですわ(笑)。
<小佐田さん>「そのミラノで寺倉さんに会って、スカラ座の中も案内してもらいました。既に退職されてた後なんですが、劇場の人がみんな寺倉さんの顔を見ると<マエストロ!>といって声をかけてくる。たいへんなもんでしたな。」
 いやいやそんなエライもんやないんですが、長くいたもんですからね。
<小佐田さん>「それでそのスカラ座にはどんなきっかけでおはいりになったのですか?」
 大学(同志社大学工学部)のオーケストラ部でヴァイオリンを弾いたり指揮をしてました。そしてテレマン・アンサンブルに入れもらったのですが、その時にヴィオラをやれといわれて、10年やりました。それからミラノのヴィオラの先生のところに1年の予定で留学させてもらったのですが、スカラ座でヴィオラのオーディションをするので受けてみろと言われて受けたら受かってしまったのです。
 ヴィオラという楽器は、基礎技術がしっかりしていないと鳴らないのです。だからヴィオラを上手に弾ける人は、ヴァイオリンの初級・中級のいい先生になれます。
(その後会場からの質問コーナーで「指揮者の特徴について何か」という質問あり)
 指揮者というのは自分が表現したい音楽を体の動きに変換する、いわば一周の舞踏家のようななものです。その踊りの仕方に指揮者の個性が出るのですが、ムーティは一番音楽に忠実で動きが正確、わかりやすい指揮でしたね。カラヤンもそうです。
 でも、指揮者の仕事というのはそう単純なものではありません。動きが正確でなくても大指揮者だった人もいます。ジュリーニがその典型でしたね。見ていてもさっぱりわからない。それでも出て来る音楽はすごいんです。特に手兵のロスアンゼルス・フィルなどではそうだった。永年の付き合いでわかるんでしょうね。
 スカラ・フィルはアッバードが生みの親で、ジュリーニが産婆さん、ムーティが育ての親という感じでしたが、ジュリーニがよく振りに来ていました。指揮者のテクニックがなくても大指揮者だった数少ない例でしょうね。
(「イタリアのオペラハウスのランキングについてのご意見を」という質問に対して)
 やっぱりスカラがダントツですね。最近はイタリアのオペラハウスも完全な公営ではなく、半分は民営なんです。スカラはそのスポンサーがどんどんつく。オペラはお金がかかるものですから、やはりこの財政面で豊かというのがとても大きい。いい歌手を起用していい公演ができるのです。
(「《蝶々夫人》は日本人からみると変な演出が多いが」という質問に対して)
 私は最近の演出はよく知らないのですが、私がやっていたころは浅利慶太の演出でしたから、着物の着方とか、日本舞踊とか、特に変だということはなかったですね。日本人だからといって私が何か聞かれるということはありません。全部日本人の専門家が来て指導してました。
(「歌手についての思い出を何か、きかせてほしい」という質問に対して)
 やっぱりドミンゴでしょうか。とても人柄が良くて誰からも好かれていましたね。ある時、これは録音だったのですが、何回録りなおしてもうまくいかない、ということがありました。そのたびにオーケストラは何度も同じところ繰り返すわけです。それではオケの人たちに悪いからと言って、もうこれでいいです、と彼から言い出したことがありましたね。
 また、ある時、ドミンゴも歳をとってからはいつも調子がいいわけではありませんでした。まだテノールを歌っていた頃ですが、オペラの途中で声が出なくなってしまいました。彼はその時、お客さんに向かって「申し訳ないが、もうこれ以上は歌えません。すみません。」と言って謝ったのです。お客さんは暖かい拍手でこたえました。その後は代わりの歌手が引き継いで歌ったのですが、騒ぎになることはありませんでしたね。
 スカラの大向うというのはうるさいので有名です。ドミンゴは例外。ちょっとできが悪いとすぐにブーイングを喰らいます。若手の歌手なんかおそろしくていつもピリピリしてましたね。あのパヴァロッティも、高音を失敗してしまったことがありました。その時はひどいブーイング。それからパヴァロッティはスカラには出なくなりましたね。ドミンゴだったらああいうことにはならなかったと思います。
それからね、長いことやっていると、事故が起こることもあります。《トゥーランドット》の公演で、ディミトローヴァが歌っていて、ワンフレーズ飛ばしてしまったことがありました。指揮者はマーゼルでした。すぐに気がついてオーケストラを止めます。歌手はまだ歌っていますが、このままだと音楽が止まってしまいます。指揮者は「次は第何小節から」と声に出して指示するわけにいきません。こういう時にどうするのか。誰かがこのへんだろう、と見当つけて弾き始めるんです。それが合っていれば、指揮者はその奏者の方を向いて振り始めるんですね。その時はチェロの首席でした。彼が弾き始めたのを聴いて「ああここか」とわかった人から合わせていく。しばらくすると全体が音を出して元に戻っていくわけなんです。見ているのはパート譜なんですけど、みんな一流の音楽家ですからね、だいたいわかるんですよ。
(こうして、前半の対談は終了。休憩をはさんで、後半は実演を交えた「音楽ミニ知識」というコーナーが予定されています。ところが、寺倉さんは手ぶらで登場します。)
 前回はヴィオラ・ダモーレという楽器を演奏しました。最近は飛行機の機内持ち込みも厳しくなってきまして、この楽器がちょっと大きいので引っかかりました。家内がヴァイオリンだと言い張ったのでなんとか持って来れたのですが、持って帰るのも難儀なので日本に置きっぱなしにしています。練習する機会がありません。それで今回はこれの実演はできません。
(と言って何やらシャツの中から取り出します。)
みなさん、これがなんだかわかりますか?みなさんも小学生の頃、音楽の時間にやったでしょう。昔はスペリオ・パイプなんて言ってましたが、今はリコーダーと呼ぶみたいです。プラスチックでできたたて笛です。これもね、小学生が使うやつで、ケースの袋には「なんねん、なんくみ、だれだれ」と名前を書くところがついています。2,400円でした(笑)。イタリアでも子供はこれをやるらしくって、どこの家庭にいっても1本や2本はころがっているしろものです。今日はこれを使います。
リコーダーもアンサンブルで演奏することがありますが、今日は1本しかありません。「無伴奏」の音楽について考えてみたいと思います。「無伴奏」といえばバッハが有名ですね。ヴァイオリンやチェロ、フルートなど、単旋律の楽器をつかってすぐれた音楽を書いています。
絵画でいえば、オーケストラは総天然色の油絵といったところ。それに対して「無伴奏」は墨絵のようなものでしょう。名人が描いた墨絵が色を感じさせるように、名手が奏でる無伴奏は、他の音も聞こえてくる。聴いている人の想像力を刺激するのです。
これは、落語のテクニックにも通じるところがありますね。落語はひとりの演者が顔の向きをちょっと動かすだけで、いろいろな人物を描きわけます。例えば、ツネやんのセリフがヴァイオリンの主旋律だとするおt、親旦さんのセリフはチェロ、キー坊のセリフはヴィオラのパート。これらを混ぜて演奏して、聴き手の頭の中で組み立ててもらうのです。
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・・・・・と言って、寺倉さんは「G線上のアリア」で知られるバッハの管弦楽組曲第3番のアリアのいくつかの声部を混ぜたものをリコーダーで演奏してみせる。そのあと、さらに管弦楽組曲第2番などよく知られた曲を組み合わせた「プラスチックの笛のための組曲」をリコーダーで演奏。音楽の組み立て、骨格というものが「無伴奏」の形式でよく見えてくる、という実演によりユニークな講演会は大拍手のうちに幕を閉じました。
                                  以上 (Simon)

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2018年06月21日

ビサンティ&ガザーレ講演会(2018年6月19日)

 当協会とイタリア文化会館の主催により、指揮者のジャンパオロ・ビサンティ氏とバリトンのアルベルト・ガザーレ氏による講演会が、イタリア文化会館アニェッリホールで6月19日に開催されました。
 おふたりは、6月22日から始まるバーリ歌劇場来日公演のために来日。この日は日本に到着されたばかり、直前までリハーサルをされていたその足で会場に駆けつけてくれたものです。その疲れもみせず、今回上演する《イル・トロヴァトーレ》のお話を中心に、ガザーレ氏の実演も含め熱のこもった楽しいトークが繰り広げられました。
 ピアノは間嶋純子さん。通訳は井内美香さん(当協会会員)。司会は、この企画のために尽力した音楽評論家で当協会理事の加藤浩子が担当しました。
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 (以下のお話は、筆者がとったメモにより再構成したもので、必ずしも正確でないかもしれません。内容についての責任は全て筆者にあります。)
 冒頭、加藤氏による紹介がすむと、ピアノはすぐに《イル・トロヴァトーレ》第1幕のルーナ伯爵登場シーンのメロディを奏で、いきなりガザーレ氏がルーナ伯爵のレチタティーヴォを歌ってくれるところから対談が始まりました。
司会「ありがとうございます。ガザーレさんは、このルーナ伯爵役を既に何度も歌っておられますが、最初はムーティ指揮でしたよね?」
ガザーレ「そうなんですが、私は今回日本でこの役を歌うことを大変幸せに思っています。なぜなら、現在この作品を振らせたら世界一の指揮者と一緒に歌うのですから。(笑)」
ビサンティ「ありがとう(笑)。ちょっとほめすぎだよ。さて、私にとっては《イル・トロヴァトーレ》の上演は、今回の来日公演が3つめのプロダクションということになります。ヴェルディという作曲家は、長い生涯(1813〜1901)にわたり多様な作品を書いていますので、演奏するにあたっては、その作品が全体の中でどのような位置づけにあるのか、ということをまず考える必要があります。27作品(26のオペラおよびレクイエム)のうち、《オベルト》(1839)から《ナブッコ》(1842)までの最初の3作品は、実質的に主にドニゼッティの影響を受けたベルカント様式でできています。その後、《マクベス》(10番目の作品、1847年初演)によって彼独自の世界を切り開きました。後期にいたるとワーグナーの影響が出てきます。《シモン・ボッカネグラ》(20番目、1857年初演)、《仮面舞踏会》(21番目、1859年初演)あたりからですね。その中間にあって中期三大傑作といわれる《リゴレット》(16番目、1851年初演)《イル・トロヴァトーレ》(17番目、1853年初演)《ラ・トラヴィアータ》(18番目、1853年初演)の中でも、《イル・トロヴァトーレ》は真ん中に位置するわけです。これらの人気ある3作品は全部違う性格を持っていますが、一番上演が難しいのが《イル・トロヴァトーレ》でしょう。ソプラノ、メッゾ・ソプラノ、テノール、バリトン、バスの「5つの最高の声」を揃えなければならないからです。
そして、また《イル・トロヴァトーレ》は、ベルカント・オペラの伝統との結びつきも一番強い作品です。一方で《リゴレット》は《マクベス》と同じような様式をもち、革新的な要素が強い作品となっています。
3作品ともバリトンの声を中心に展開しますが、それぞれに要求されるバリトンの性質も大変違っています。リゴレットは、皮肉な運命に翻弄される父親として悲劇的で哀れな人物を描かなければなりません。《ラ・トラヴィアータ》のジェルモンは、ノーブルでカンタービレな歌唱が要求されます。これに対し、《イル・トロヴァトーレ》では、作品全体はベルカント的であるにも拘わらず、バリトンにはSuper Uomo(卓越した男)としての強い性格とヴェリズモ的な表現力が必要とされるのです。
 いずれにせよ、ヴェルディがバリトンという声を愛していたことは確かでしょう。それに対して、ソプラノは歌うのが難しいものが多い。あまり好きではなかったのかもしれません。(笑)」
ガザーレ「たしかに、ヴェルディ全体を知っておくことは大事ですね。初期の<ガレー船の時代>といわれた作品群、中期の3作品、そして後期という中で《イル・トロヴァトーレ》はちょうど真ん中です。」
ビサンティ「《イル・トロヴァトーレ》は、初演の時から《ナブッコ》以上の大成功でした。観客が既に新しい時代が始まっていることを理解していたからだと思います。ワーグナーに対抗する世界です。もしかしたらヴェルディは《オテッロ》と《ファルスタッフ》でワーグナーをからかったのかもしれませんよ。ワーグナーが8時間かけて表現することを俺なら3時間に圧縮してやってみせるよ、と。(笑)」
ガザーレ「《オテッロ》ではレチタティーヴォも進化していますね。」
 と言って、ガザーレ氏は《オテッロ》第2幕でヤーゴがオテッロに夢をみたという話をする箇所を歌ってみせます。ピアノの間嶋さんは《イル・トロヴァトーレ》のヴォーカル・スコアは持ってきていますが《オテッロ》の楽譜はありません。なんと、直前にガザーレ(いつも楽譜を電子ファイルにして持ち歩いているそうです)からWhatsApp(イタリア版のLINE)で送信してきた楽譜を小さなスマホの画面をのぞき込みながら弾いています。
 さらに、ガザーレ氏は、夢の話のあとでヤーゴが「デズデーモナ様がいつも手にお持ちになってる花の刺繍のはいった布地をご存じで?」と言うのに対しオテッロが「あれは最初の愛の印に私が贈ったハンカチだ」というやりとりの部分まで、つまりテノール・パートまでも歌ってしまいます。
ガザーレ「《オテッロ》は実験的な作品で、芝居と同じ上演時間で演奏できるようにセリフの部分を歌で表現する技術を開発しているのです。
《セヴィリアの理髪師》の時代のレチタティーヴォは違います。オーケストラはなしで、チェンバロの和音にのせる「レリタティーヴォ・セッコ」という形式でフィガロはセリフを言います。(ピアノに合図して、伴奏部の和音を弾いてもらう。)
 モーツァルトもこの形式で書いていますが、彼だけは特別なところがあります。速く弾いても遅く弾いても傑作であることに変わりがない。歌で意味を伝える「モーツァルトの魔法」を使っています。(筆者注:レチタティーヴォだけに劇の進行を委ねていない、ということを述べてるのだと思います。)
 モーツァルト以外の作曲家は、もっと真っ正直に、単なるセリフの部分としてレチタティーヴォを使おうとしています。ロッシーニやドニゼッティやベッリーニの時代のお客というのは必ずしも真面目に舞台に集中しているわけではなく、飲食をとりながらオペラを観ていました。アリア以外はちゃんと聞いていなかったかもしれません。劇場は娯楽と社交の場所だったのです。
 ヴェルディとワーグナーがそうしたオペラの在り方を変えていきました。
 ところで、《イル・トロヴァトーレ》はベッリーニ的な世界も持っています。」
 <Il balen...(君のほほ笑み)>の冒頭部分を歌ってみせる。
ガザーレ「この曲の伴奏部分の分散和音はベッリーニですよね。この作品はベル・カントの要素がたくさん残っています。でも、ひとりの女性がはみ出していますね。そう、アズチェーナです。彼女は全く新しい人物像ですね。」
と言って、第2幕冒頭のアズチェーナのアリアのさわりをファルセットで歌ってみせる。
ガザーレ「これは、バラード。ふつうの、市井の人の歌です。これに対して他の主役、ソプラノもテノールも、バリトンもそれぞれのアリアはカヴァティーナ・カバレッタ形式で書かれています。」
と言って、第3幕のマンリーコのアリアのさわりを歌う。
ビサンティ「そこまでやっちゃうの。次はソプラノも歌ってくれるんだね!(笑)」
ガザーレ「(観客席に向かって)誰か僕のかわりにソプラノを歌ってくれる人、ヴォランティアでお願いします!いませんか!(笑)」
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ビサンティ「17世紀から19世紀の前半までに作曲されたベルカント・オペラは定型のスタイルが決まっていました。そこで、その様式を踏まえた上でなら歌手が自由に自分流の歌い方で表現していたのです。ヴェルディはそこを変えていきました。《マクベス》あたりからは、細かい表現方法が全部楽譜に書き込まれているのです。
 ところで、オペラに悲劇的なメロドランマが多いのは、聴衆であるイタリア人がそれを好んだということがあります。悲劇が好き、セックスやお金が好き、つまり現世的な享楽が好き、というのは、これはもう我々イタリア人の国民性ですね。
 そうしたテーマをオペラに仕立てあげるにあたっては、台本作家も大きな貢献をしていることを忘れてはなりません。当時は検閲というものがあり、そうした厳しい条件をかいくぐって作曲家を刺激しつづけたのが台本作家なのです。良い台本があったからこそ作曲家もすぐれた作品を残すことができたのです。
 有名な《セヴィリアの理髪師》は、ロッシーニが作曲する前に、同じ台本でパイジェッロが先に作曲しているのですが、後から作曲したロッシーニの方が有名になり、パイジェッロの作品は忘れられてしまった、などという話もあります。
 ヴェルディは台本を重視し、台本作者を注意深く選びましたし、あれこれ注文もつけました。ワーグナーは(自分で台本を書いたので)そんな心配をすることはなかったでしょうね。(笑)」
 ガザーレ「《イル・トロヴァトーレ》の台本もよくできていますが、作者のカンマラーノは制作の途中で死んでしまいました。台本制作は弟子に引き継がれわけですが、この作品はヴェルディが自身で選んだ物語なので、彼が細かい注文をいろいろと出して完成させることができたのです。第2幕のルーナ伯爵のアリアと、第4幕のレオノーラのアリアは全くできていなかったのですが、ヴェルディが後を引き継いだバルダーレにいろいろと指示を出す手紙のやりとりが残っています。現代だったらWhatsAppでやりとりするでしょうからあとに何も残りません。当時は手紙しかなかったことに我々は感謝しなければなりませんね。(笑)
 ところで、日本人とイタリア人って「相思相愛」ですよね。日本の人たちはオペラが好きだし、よく理解してくれているので、この地で歌うのはとても楽しいのです。なぜ、そうなのか?イタリアがオペラを発明したちょうどその同じ時期に日本では歌舞伎が始まりました。オペラと歌舞伎は、歌と音楽による劇という点で同じです。ドイツも、フランスも、オペラを始めたのはイタリアよりずっと後になってからです。でも日本は同じ時代から歌舞伎を楽しんできました。それが、お互いに深い所で理解し合える原因だと私は思っているんですよ。(笑)」
司会「とてもいいお話で締めくくっていただき、ありがとうございます。(笑)さて、予定のお時間になってまいりました。最後に、マエストロ、バーリの歌劇場、ペトルッツェッリ劇場についてひとことご紹介願えますか?」
ビサンティ「バーリ歌劇場は、イタリアに14ある大歌劇場(ente lirica)のひとつです。その中でも、建物の美しさという点ではペトルッツェッリ劇場は、ナポリのサン・カルロ劇場、カターニアのマッシモ・ベッリーニ劇場と並んで三指に入る素晴らしいもので、バラ色の色調が特徴です。1991年の火災で内部が焼失してしまい20年近くかけて復旧するまでは他の場所で公演を行ってきました。昔から大歌手が出演してきた格式の高い劇場ですが、近年新しい総裁が就任し、経営陣が刷新されてから、市の中心として機能し、プログラムも充実してきています。オーケツトラも若くて真面目で優秀なメンバーで構成されておりとてもレベルが高いものです。私自身はミラノ出身ですが、バーリという場所の海の美しさと食事がおいしいことに魅了されています。」
ガザーレ「これだけはつけ加えておきたいのですが、この歌劇場のレベルが上がったのはビサンティが常任指揮者になったことが大きく貢献しているのですよ。」(拍手)IMG_3737大.jpg
 この後、質問コーナーとなり、「ヴェルディの声はバリトンだったのではないか」といった話や、日伊の違いという話題の中で「イタリアはいろいろな民族に征服されてきた。今度は日本に征服されたいよ」という冗談まで飛び出すしまつ。その和気あいあいとした楽しい夕べとのとどめが、サービス精神旺盛なガザーレさんによる《オテッロ》の<悪のクレード>を歌ってくれる「アンコールのおまけつき」でのお開きとなりました。
                                 以上(Simon)
posted by NPO日本ヴェルディ協会 at 15:31| Comment(0) | イベント報告