2016年07月17日

第2回「青春のジュゼッペ・ヴェルディ」講演会(@大阪)

 昨年に引き続き、オペラの殿堂スカラ座に初に日本人奏者として乗り込んだヴィオラ演奏家寺倉寛さんに、落語作家小佐田定雄さんが突っ込む、オペラ対談の続編が、2016年7月15日に大阪市中央公会堂で行われました。image.jpeg
 今年は、寺倉さんがヴィオラ・ダモーレを実演されたほか、上方落語界きってのクラシック音楽通として知られる桂米團治さんにも特別出演いただき、さらにパワーアップ。会場も、昨年の小集会室から中集会室になりました。
国指定重要文化財にもなっている中央公会堂は、「北浜の風雲児」といわれた岩本栄之助の寄付により大正7年に竣工した赤レンガと白い列柱・フレームのコントラストが美しいネオルネッサンス様式の建物です。その3階の中央部を占める、中集会室はボールルームダンスの会場にも使われることのある瀟洒なホールで、高い天井にシャンデリアが下がる中央フロアを列柱で区切られた側廊が取り囲む、まさに気分はヨーロッパという空間です。
司会役の小佐田さんの紹介により、寺倉寛さんがヴィオラ・ダモーレを携えて登場。アントニオ・ロレンツィーティ(1740〜1789)作曲によるヴィオラ・ダモーレのためのソナタニ長調「狩り」が演奏されました。後で寺倉先生に楽譜を見せていただきましたが、ハ音記号とト音記号が交じり合い、ほとんどが重音、フラジオレット(ハーモニクス)も多用する複雑な譜面でした。日本でのヴィオラダモーレ演奏の草分け藤原義章先生からコピーさせていただいた楽譜なのだそうです。
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演奏の後で、小佐田さんとの対談に入り、まずはヴィオラ・ダモーレという楽器が話題になります。この楽器は、共鳴箱がなで肩のヴィオラ・ダ・ガンバと同じ系統の弦楽器で、演奏弦7弦と同じ数の共鳴弦をもつため、独特のふくよかな響きを持っています。隣り合った弦がヴァイオリン属のように完全5度の配列ではなく、ニ長調の長和音の配列になっているため、特定の調性の和音を弾くのには便利で、もっぱら貴族の宮廷で独奏楽器として好まれたとのこと。しかしながら全ての調性に対応することはできないので、プロのオーケストラには向かず、だんだんに使われなくなりました。現在でもよく演奏される曲でこの楽器が使われる例としては、プロコフィエフのバレエ《ロミオとジュリエット》とプッチーニのオペラ《蝶々夫人》。特に前者は完全に独奏で弾くシーンがあります。寺倉さんは、テレマン・アンサンブルでこの楽器の経験があったので、スカラ座でもよくこれを担当されたのだそうです。
「ダモーレ(d’amore)」という名前の由来については諸説あるそうですが、ヴィオール属の中でも愛すべき音色を持つ、といった意味ではないか。一方、プロコフィエフやプッチーニなどの後世の作曲家が既に使われなくなっていたこの楽器を「愛の場面」に起用したのは、この名前が影響しているとも言える。いわば作曲家の「遊び」なのでしょうね、とのこと。同じ構造(7本の共鳴弦)を持ったもう少し大きい「バリトン」というチェロ型の弦楽器があって、ハイドンが仕えたお殿様(エステルハージ侯爵)が好んだそうです。image.jpeg
その後、話はスカラ座オーケストラの入団試験のことになります。新しい団員のオーディション審査員はそのパートの楽団員がつとめるのが普通ですが、寺倉さんはもっぱらヴァイオリンの試験に参加していたとのこと。ヴァイオリンの場合、欠員ができて公募すると、約500名の応募があり、一次試験に実際に参加するのは200名くらい。一次試験はモーツァルトのコンチェルト(何番でもよい)から第1楽章と第2楽章を弾くというもの。モーツァルトの楽曲は、美しい音を出すという「基礎テクニック」と「音楽的趣味」を判定するのに最適であるとのこと。受験者は衝立の向こう側で演奏し、声も出してはいけない。審査員は、姿はおろか女性か男性かもわからない状態で音だけを聞いて判定する。それでも異議が出たことがあるらしくて、今では弁護士が立会いのもとで審査が行われている。
二次選考では、ロマン派の大曲をひとつ(チャイコフスキー、メンデルスゾーン、ブラームスのコンチェルトのいずれかを選ぶ人が多い)と、楽団のレパートリーをまとめた分厚い冊子の中からその場で指定された1曲を演奏するというもの。
合格させたいという奏者についての意見は大体一致するものだが、チェロで面白いエピソードがあった。若手の天才的チェリストで、チェロのソロがあるオペラの上演に際してよく参加していたムーティもお気に入りの奏者がいた。チェロの団員に欠員ができて当然彼も試験に参加した。ところが、一次試験合格者のリストに彼の名前がなかった。目隠し試験で団員が落としてしまっていたのである。それからしばらくムーティの機嫌が悪かった、とのこと。
ここで中入り。後半でまず登場したのは、桂米團治師匠。会場に特設された高座にあがります。
噺は上方人情噺の傑作「たちぎれ線香」。船場の商家の若旦那が、ミナミの置屋の娘で芸者の小糸に入れあげ、店の金にまで手をつける、というので問題になり、親族会議が開かれて蔵の中に100日押し込められてしまう。小糸からは毎日手紙が来るが番頭が握りつぶして若旦那には見せない。蔵住まい80日目についに手紙は来なくなる。100日経って蔵から出て改心したという若旦那に番頭が小糸からの最後の手紙を見せる。それには「今生のお別れ」と書いてある。若旦那は、天神さんにお礼参りに行くといって店を飛び出し、ミナミの置屋に駆けつけるが、女将から小糸の位牌をみせられる。若旦那が仏壇にむかって拝んでいると、お仏壇に供えた楽器が鳴り出す。本来の噺では、ここで鳴り出すのは三味線で曲も若旦那が好きな地唄の<雪>なのですが、この日は、若旦那が小糸に贈った胡弓が鳴り出すというお話に変えて、衝立の陰で寺倉寛さんがヴィオラ・ダモーレを演奏。曲もヴェルディの《ラ・トラヴィアータ》前奏曲という趣向になりました。
 男の家の事情で引き裂かれた恋のためにヒロインが死んでしまうという点で、《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》と似たお話であることはたしかです。落語の場合は、下座で三味線のほかに女声の唄もはいるのが一般的ですが、主声部のほかに伴奏部まで奏でてしまうヴィオラ・ダモーレの多彩な音色が、実にその場に合っていて感動的でした。しかも、悲劇の前奏曲でありながら長調を採用したヴェルディの天才的なひらめきが感じられるこの抒情性豊かな曲の趣が、最後は思わぬ下げで締めくくる落語の「調性」ともうまく合っていたような気がします。
 落語のあとは、寺倉さん、小佐田さんに、米團治さんも加わっての鼎談。クラシック好きの米團治師匠は、もともとプッチーニファンだったとのことですが、最近になってヴェルディの「深さ」がわかるようになってきた、とのことでした。特に《ラ・トラヴィアータ》については、作曲当時を背景としたヴェルディ唯一の「現代もの」であるだけに、人間の生の感情に直接迫る作品になっているのではないか、といったお話が印象的でした。
 本年は大阪・ミラノ姉妹都市提携35周年にあたり、大阪市ならびにイタリア文化会館大阪からもご後援をいただきました。関係各位に感謝いたします。そして、当協会主催とはいっても、実質は地元の会員高岡将之さん率いる実行委員会がすべての運営をとりしきりました。青春のジュゼッペ・ヴェルディ実行委員会の皆様、お疲れ様でした。
                                     (Simon)
               
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2016年05月27日

第3回若手歌手支援企画コンサートが開催されました

「若手歌手の協演 〜ヴェルディを巡る言葉とドラマ〜」
と題し、2016年5月12日午後7時よりカワイ表参道「パウゼ」で、当協会主催(カワイ音楽協会協賛)による若手支援コンサートが開催されました。(入場者総数114名)
 出演者は、小玉友里花(S)、種谷典子(S)、杉山由紀(Ms)、又吉秀樹(T)、堺祐馬(Br)、野村光洋(Br)、井上紘奈(Pf)、泉翔士(Pf)の若手歌手およびピアニストの皆さんのほか、プロデューサーの井上雅人さんが、司会および賛助出演として参加されました。
 演奏曲目は、
《ドン・パスクアーレ》 より<用意はいいわ>(小玉、堺)
《ラ・ファヴォリータ》 より <私のフェルナンド>(杉山)
《愛の妙薬》より <20スクード!> (又吉、野村)
《カプレーティとモンテッキ》 より <ああ!僕のジュリエッタ>(小玉、杉山) 
《清教徒》より<あなたの優しい声が>(種谷)
《リゴレット》<嵐が来るな> (種谷、井上雅、堺)
《シモン・ボッカネグラ》 より<ああ、地獄だ! アメーリアがここに!>(又吉) 
《仮面舞踏会》より <お前こそ魂を汚す者>(野村)
<皆それぞれに一つの恥辱>(野村、井上雅、堺)
<どんな衣装か知りたいだろう>(小玉)
《ドン・カルロ》より<カルロよ、聞いて下さい... 私は死にます>(堺)
《ラ・トラヴィアータ》より <あの日僕は幸せでした> (種谷、又吉、井上雅)

昨年同様、前半は、ヴェルディ以前のベル・カント・オペラの名曲で構成されました。
 《ドン・パスクワーレ》は、コンメーティア・デッラルテに淵源を持つ典型的なオペラ・ブッファ、《愛の妙薬》も抒情劇の側面も持ちながらもやはり喜劇的内容で、ヴェルディがどちらかというと苦手にしたジャンルですが、歌唱技術という面ではヴェルディ作品を歌う上でも基礎となる大切な要素をもっている作品群です。出演の皆さんは、少なくともベル・カントの発声と歌唱技術においては、優れたものをみせてくれました。
《ラ・ファヴォリータ》は《ランメルモールのルチア》と並んで、人間ドラマを劇的に表現したヴェルディに直接連なる先行作品といえましょう。その中でも<私のフェルナンド>はメッゾ・ソプラノのためのアリアとしては、ヴェルディの《ドン・カルロ》でエーボリ公女が歌う<呪われしわが美貌>と並ぶ人物の心情を深く掘り下げた名曲です。杉山由紀さんはメッゾらしい陰影に富む豊かな声でこの特徴的な美しいメロディをじっきり聴かせてくれました。
第1部後半の2作品は、天才的メロディストであったベッリーニ特有の美しいカンタービレで聴かせる珠玉の名作ですが、オーケストラや合唱を含めた総合的な音楽劇として劇的な表現を追求したヴェルディにとっては、まさに改革の対象とすべき形式的なオペラであったともいえます。美しいメロディを書く能力が高いという点では同じメロディストであったヴェルディとはどこが違うのか。比較対象とする面白い企画ではあったのですが、ピアノの伴奏によるアリアや重唱だけを聴いていたのでは、そこのところはよくわからなかったかもしれません。
後半のヴェルディの部では、《リゴレット》からは幕切れ近くのジルダ、スパラフチーレ、マッダレーナによる三重唱、《仮面舞踏会》からは第3幕第1場のレナート・トム・サムエルによる三重唱、《ラ・トラヴィアータ》からは第1幕前半のヴィオレッタとアルフレードの出会いの場面の二重唱など、アンサンブルの選曲が通常演奏会でとりあげられる箇所とは違う部分であった点に面白さを感じました。このようにあまり有名でない箇所をとりあげても、音楽に全く緩みのない劇的な場面となっていることに、あらためてヴェルディの凄さを認識できるものであったと思います。
一方、ソロのアリアに関しては、若手にとってはチャレンジングな曲目であっただけに、ベル・カント・オペラに比べると声楽技法よりも様式感や表現力が求められるヴェルディを演奏することの難しさをあらためて感じさせた面もありました。しかし、こうした場を提供するのがこの企画の目的ですから、聴衆からは暖かい声援の拍手がおくられました。
そして、最後はアンコールとして若手歌手全員による<乾杯の歌>(《ラ・トラヴィアータ》より)で楽しく締めくくられました。
さらに、これも恒例となった会場全員での<ゆけ、わが想いよ、黄金の翼にのって>(《ナブッコ》より)の大合唱。本来は指揮者である泉翔士さんが「本業」に戻って棒を振ってくださり、一同大満足のうちにお開きになりました。 (Simon)
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2016年04月04日

会員限定企画のサロンコンサートで春爛漫の「ヴェルディの午後」を満喫

2016年4月3日に日本ヴェルディ協会会員T氏(ヴェルディ・ネーム:グァルディアーノ神父)の私邸にて会員限定のミニコンサートが開催されました。
当日は貸切大型バス1台がちょうど満席となる46名が上野駅公園口に集合、郊外のT氏邸まで、隅田川沿いの満開の桜並木や江戸川堤を埋め尽くす菜の花を愛でながらのバスの旅を楽しみました。花曇りの空の下、むしろ前夜のお湿りで木々の緑も生き生きとしていたように思われます。
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出演者は、協会事務局にも事前には知らされておらず全くのサプライズでしたが、ソプラノ安藤赴美子、テノール笛田博昭、バリトン須藤慎吾、ピアノ浅野菜生子という豪華メンバー。
曲目はもちろんオール・ヴェルディ・プログラムで以下の独唱6曲と二重唱3曲が演奏されました。
《オテッロ》より<アヴェ・マリア>(安藤)、《マクベス》より<憐みも、尊敬も、愛も>(須藤)、《イル・トロヴァトーレ》より<ああ、私のいとしい人〜見よ、恐ろしい炎を>(笛田)、《ルイーザ・ミッレル》より<神様、もしあなたをご立腹させたのなら>(安藤)、《仮面舞踏会》より<おまえこそ心を汚すもの>(須藤)、《運命の力》より<天使のようなレオノーラ>(笛田)、《ラ・トラヴィアータ》より<天使のように清らかな>(安藤・須藤)、《運命の力》より<最後の願い>(笛田・須藤)、《オテッロ》より<夜も更けた>(安藤・笛田)
 オーナーのT氏が「独断と偏見」で行ったとおっしゃるこれらの選曲は、人間の感情とドラマを美しくも悲しく、そして時には火を噴くように激しく、様々の確度から表現するまさにヴェルディ・オペラの醍醐味を味わえるものになっていました。これを、2階分吹抜けの高い天井と大理石張の床をもつ響きのよい立派ホールの中で、現役ばりばりの精鋭歌手たちが白熱の歌唱を繰り広げるのを間近で聴くのですから、たいへんな迫力です。
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 最後は、あらかじめ楽譜が配られていた《ナブッコ》のヘブライ人たちの合唱<ゆけ、わが想いよ、黄金の翼に乗って>を参加者全員で合唱。コテコテのヴェルディを堪能し、一同、大満足でした。
その後、隣接する歴史博物館(江戸時代からの大庄屋であったT家の旧居と庭園)の見学、そしてT氏邸に戻りサロンでワインパーティー、出演者も交えた歓談が行われました。
 今後もこのような素晴らしい「会員限定企画」の機会を増やしていきたいものだ、と思いました。 (Simon)
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2016年03月29日

2016年度の日本ヴェルディ協会年次総会が開催されました

特定非営利活動法人日本ヴェルディ協会の年次総会が3月29日に京王プラザホテルで開催されました。開始に先立ち、昨年12月に逝去された志賀櫻常務理事のご冥福を祈って出席者全員で黙とうを捧げました。その後、議事は滞りなく進められ、平成27年度の事業報告および会計書類、平成28年度の事業計画および収支予算が承認されました。
総会終了後は、恒例のミニ・コンサートが行われました。今年は、ソプラノの高品綾野さん、バリトンの湯澤直幹さん、ピアノの水野彰子さんが出演。image.jpg
まず湯澤直幹さんの独唱で、《仮面舞踏会》第3幕より<Eri tu che macchiavi quell’anima(おまえこそ心を汚すもの)>。続いて、高品綾野さんの独唱による《ラ・トラヴィアータ》第1幕の<È strano! Ah, fors’è lui che l’anima 〜 Sempre libera(不思議だわ!そはかの人か〜花から花へ)>、そして最後はふたりによって《ラ・トラヴィアータ》第2幕の二重唱<Madamijella Valery?(ヴァレリー嬢で?)>が演奏されました。ふたりとも若手らしく溌剌とした生きのいい声の持ち主で、狭い会場ではもったいないほどの声の饗宴となり、耳の肥えた聴衆もしばし名曲の響きに酔いしれることができました。 (Simon)


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2016年02月01日

バッティストー二講演会

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2016年1月31日(日)に、イタリア文化会館アニェッリホールで、指揮者のアンドレア・バッティストーニの講演会が開催されました。東京二期会オペラ公演のために来日したこの若きマエストロの講演会を日本ヴェルディ協会主催で行うのは、昨年に引き続き二回目となります。司会:加藤浩子、通訳:井内美香が担当。詳しい内容は別途、協会会報のVERDIANAに掲載させていただきますが、とりあえず筆者が聴いた個人的感想を記したいと思います。
 前半は、ヴェルディのオペラ全般に関するマエストロの見方について。彼自身が指揮したことがある初期のオペラ《ナブッコ》から最後のオペラ《ファルスタッフ》までについての見方が語られました。よどみなく語るマエストロは、若いのに驚くほどよくヴェルディの音楽を研究しているということのみならず、他の作曲家との比較という視点においても、スコアを読むプロフェッショナルとしての高い能力と識見を示していたことに舌を巻きました。例えば、ドイツの作曲家のシンフォニーやフランスオペラの影響など、学者ではなく現場の指揮者としての肌感覚で感じたという感じが印象的でした。さらには最晩年の《オテッロ》や《ファルスタフ》についてのワーグナーの影響はよくいわれていることですが、マエストロによれば、それは直接的なものではなく、アッリーゴ・ボーイトを通してのものだった、というところが説得的です。
 しかしながら、ここまでの話は、ヴェルディファンであればお馴染みという点も多かったといえましょう。バッティストーニのユニークで興味深い見解は、そのあと、今回二期会公演で指揮する《イル・トロヴァトーレ》に関する話の中で全開となりました。
 特に私が印象的だったのは、《イル・トロヴァトーレ》の台本作者、カンマラーノについてのバッティストーニの見方です。このオペラは、「音楽は素晴らしいが、台本は荒唐無稽でひどい」イタリア・オペラの典型として語られることが多いことに、筆者はもともと違和感をもっていました。たしかに、《イル・トロヴァトーレ》の劇としての主な事件の展開、たとえばルーナ伯爵家とアズチェーナの母にあたるジプシー女の因縁や、レオノーラがマンリーコと出会う馬上槍試合、マンリーコとルーナ伯爵の軍勢の間の戦いなどは、舞台上ではなく、幕の上がる前や幕間に行われ、登場人物たちの歌の中で語られるにすぎません。しかし、だからといってそれが劇の展開を追ううえでそんなに「わかりにくい」といえるのか。適切な演出とディクションがしっかりした歌手による公演であれば、そんなに理解しがたいお話だとは筆者はもともと思っていませんでした。
 今回バッティストーニが語ったことは、そんな筆者にとっては、実に腑に落ちることでした。この時期のヴェルディは、前作《リゴレット》にもみられるとおり、「bizzarro」という言葉で表現される「風変り」で「異常な」世界に惹かれており、アズチェーナによって代表されるそうした異類的な人格の性格を深く掘り下げることに情熱を傾けていました。スペインのロマン主義的作家グティエレスの原作は、まさにそうしたヴェルディの志向に合うものでしたが、一方で《リゴレット》において「前に行き過ぎてしまった」ため、伝統的オペラに慣れた当時の聴衆に受け入れられるのに時間がかかったということを痛感していたヴェルディが選んだのが、当時すでにベルカントオペラの台本で名声を確立していた巨匠カンマラーノでした。そして期待にたがわずカンマラーノは、その持てる職人芸を駆使して、ロマン主義的で、異常で風変り、エキゾチズムに満ちた世界を描いた原作を、当時の聴衆に受け入れやすいベル・カントの形式の中に当てはめてみせました。このため、ヴェルディの革新性は表には出ず、初演当時から大当たりをとり、そのまま世界中で愛され続ける稀有の作品となった、というわけです。
. また、《イル・トロヴァトーレ》にはフランスオペラの影響がみられる、という指摘がありました。これは、従来あまり言われることがなかったことなので、司会の加藤さんから質問されたところ、「例えば、第2幕のアズチェーナ登場のアリア〈炎は燃えて〉は、フランスのBalladeのスタイルで書かれているし、合唱の扱い方もフランス的」ということでした。
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さらには、講演の後に行われた質疑応答の中でのバッティストーニの受け答えがまた素晴らしいものでした。
 「今までに録音された《イル・トロヴァトーレ》のディスクの中で、マエストロが一番良いと思うものはどれか?」という質問に対する答えが、このオペラの本質をよく語っていました。
いわく:「強いていえば、トマス・シッパース指揮のものが好きであるといえるが、この難しいオペラについての理想的な演奏はまだない、といえる。《イル・トロヴァトーレ》の解釈については、ふたつの方向があると思う。
ひとつは、カラヤンなどに代表されるドイツ的ないき方で、ヴェルディ後期の作品からこのオペラをとらえようとする方向だ。この解釈においては、往々にしてオーケストラの響きが重くなりすぎ、作品の流れを止めてしまう。
もうひとつの方向は、前期のヴェルディ作品からみる方向で、ベル・カント的スタイルを重視する。それによってこの作品の美しく、エレガントな面は表現されるが、ヴェルディの目指した「bizzarro」で劇的な面については軽視されがちになる。ことほどさようにこれは難しい作品で、現在の私もこの問題を十分に解決できるとはおもっていない。」
 もうひとつの質問は、「アズチェーナの性格をどうとらえたらいいのか?自分の母親の復讐に燃える妄執にとらわれた魔女的な女なのか?それとも母親としての愛情に満ちた女なのか?」というものでしたが、それに対するマエストロの答えはこうでした:
 「この作品の描く異常で風変りな世界を、現代的な感覚で合理的に解釈するべきではない。最後の幕切れにおいて、当初のカンマラーノ台本ではアズチェーナの心情を切々と語る場面が用意されていたが、ヴェルディはそれを拒絶し、唐突ともいえるあっけない幕切れでオペラを終わらせてしまうことにした。作品の流れがもつテンションを保ったままで終わり、後のことは観客ひとりひとりが自由に受け取ればよい、という態度で、それによってより印象的でインパクトの強い幕切れにすることができたのだ。」
                                以上 (Simon)
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