
今年は、寺倉さんがヴィオラ・ダモーレを実演されたほか、上方落語界きってのクラシック音楽通として知られる桂米團治さんにも特別出演いただき、さらにパワーアップ。会場も、昨年の小集会室から中集会室になりました。
国指定重要文化財にもなっている中央公会堂は、「北浜の風雲児」といわれた岩本栄之助の寄付により大正7年に竣工した赤レンガと白い列柱・フレームのコントラストが美しいネオルネッサンス様式の建物です。その3階の中央部を占める、中集会室はボールルームダンスの会場にも使われることのある瀟洒なホールで、高い天井にシャンデリアが下がる中央フロアを列柱で区切られた側廊が取り囲む、まさに気分はヨーロッパという空間です。
司会役の小佐田さんの紹介により、寺倉寛さんがヴィオラ・ダモーレを携えて登場。アントニオ・ロレンツィーティ(1740〜1789)作曲によるヴィオラ・ダモーレのためのソナタニ長調「狩り」が演奏されました。後で寺倉先生に楽譜を見せていただきましたが、ハ音記号とト音記号が交じり合い、ほとんどが重音、フラジオレット(ハーモニクス)も多用する複雑な譜面でした。日本でのヴィオラダモーレ演奏の草分け藤原義章先生からコピーさせていただいた楽譜なのだそうです。

演奏の後で、小佐田さんとの対談に入り、まずはヴィオラ・ダモーレという楽器が話題になります。この楽器は、共鳴箱がなで肩のヴィオラ・ダ・ガンバと同じ系統の弦楽器で、演奏弦7弦と同じ数の共鳴弦をもつため、独特のふくよかな響きを持っています。隣り合った弦がヴァイオリン属のように完全5度の配列ではなく、ニ長調の長和音の配列になっているため、特定の調性の和音を弾くのには便利で、もっぱら貴族の宮廷で独奏楽器として好まれたとのこと。しかしながら全ての調性に対応することはできないので、プロのオーケストラには向かず、だんだんに使われなくなりました。現在でもよく演奏される曲でこの楽器が使われる例としては、プロコフィエフのバレエ《ロミオとジュリエット》とプッチーニのオペラ《蝶々夫人》。特に前者は完全に独奏で弾くシーンがあります。寺倉さんは、テレマン・アンサンブルでこの楽器の経験があったので、スカラ座でもよくこれを担当されたのだそうです。
「ダモーレ(d’amore)」という名前の由来については諸説あるそうですが、ヴィオール属の中でも愛すべき音色を持つ、といった意味ではないか。一方、プロコフィエフやプッチーニなどの後世の作曲家が既に使われなくなっていたこの楽器を「愛の場面」に起用したのは、この名前が影響しているとも言える。いわば作曲家の「遊び」なのでしょうね、とのこと。同じ構造(7本の共鳴弦)を持ったもう少し大きい「バリトン」というチェロ型の弦楽器があって、ハイドンが仕えたお殿様(エステルハージ侯爵)が好んだそうです。

その後、話はスカラ座オーケストラの入団試験のことになります。新しい団員のオーディション審査員はそのパートの楽団員がつとめるのが普通ですが、寺倉さんはもっぱらヴァイオリンの試験に参加していたとのこと。ヴァイオリンの場合、欠員ができて公募すると、約500名の応募があり、一次試験に実際に参加するのは200名くらい。一次試験はモーツァルトのコンチェルト(何番でもよい)から第1楽章と第2楽章を弾くというもの。モーツァルトの楽曲は、美しい音を出すという「基礎テクニック」と「音楽的趣味」を判定するのに最適であるとのこと。受験者は衝立の向こう側で演奏し、声も出してはいけない。審査員は、姿はおろか女性か男性かもわからない状態で音だけを聞いて判定する。それでも異議が出たことがあるらしくて、今では弁護士が立会いのもとで審査が行われている。
二次選考では、ロマン派の大曲をひとつ(チャイコフスキー、メンデルスゾーン、ブラームスのコンチェルトのいずれかを選ぶ人が多い)と、楽団のレパートリーをまとめた分厚い冊子の中からその場で指定された1曲を演奏するというもの。
合格させたいという奏者についての意見は大体一致するものだが、チェロで面白いエピソードがあった。若手の天才的チェリストで、チェロのソロがあるオペラの上演に際してよく参加していたムーティもお気に入りの奏者がいた。チェロの団員に欠員ができて当然彼も試験に参加した。ところが、一次試験合格者のリストに彼の名前がなかった。目隠し試験で団員が落としてしまっていたのである。それからしばらくムーティの機嫌が悪かった、とのこと。
ここで中入り。後半でまず登場したのは、桂米團治師匠。会場に特設された高座にあがります。
噺は上方人情噺の傑作「たちぎれ線香」。船場の商家の若旦那が、ミナミの置屋の娘で芸者の小糸に入れあげ、店の金にまで手をつける、というので問題になり、親族会議が開かれて蔵の中に100日押し込められてしまう。小糸からは毎日手紙が来るが番頭が握りつぶして若旦那には見せない。蔵住まい80日目についに手紙は来なくなる。100日経って蔵から出て改心したという若旦那に番頭が小糸からの最後の手紙を見せる。それには「今生のお別れ」と書いてある。若旦那は、天神さんにお礼参りに行くといって店を飛び出し、ミナミの置屋に駆けつけるが、女将から小糸の位牌をみせられる。若旦那が仏壇にむかって拝んでいると、お仏壇に供えた楽器が鳴り出す。本来の噺では、ここで鳴り出すのは三味線で曲も若旦那が好きな地唄の<雪>なのですが、この日は、若旦那が小糸に贈った胡弓が鳴り出すというお話に変えて、衝立の陰で寺倉寛さんがヴィオラ・ダモーレを演奏。曲もヴェルディの《ラ・トラヴィアータ》前奏曲という趣向になりました。
男の家の事情で引き裂かれた恋のためにヒロインが死んでしまうという点で、《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》と似たお話であることはたしかです。落語の場合は、下座で三味線のほかに女声の唄もはいるのが一般的ですが、主声部のほかに伴奏部まで奏でてしまうヴィオラ・ダモーレの多彩な音色が、実にその場に合っていて感動的でした。しかも、悲劇の前奏曲でありながら長調を採用したヴェルディの天才的なひらめきが感じられるこの抒情性豊かな曲の趣が、最後は思わぬ下げで締めくくる落語の「調性」ともうまく合っていたような気がします。
落語のあとは、寺倉さん、小佐田さんに、米團治さんも加わっての鼎談。クラシック好きの米團治師匠は、もともとプッチーニファンだったとのことですが、最近になってヴェルディの「深さ」がわかるようになってきた、とのことでした。特に《ラ・トラヴィアータ》については、作曲当時を背景としたヴェルディ唯一の「現代もの」であるだけに、人間の生の感情に直接迫る作品になっているのではないか、といったお話が印象的でした。
本年は大阪・ミラノ姉妹都市提携35周年にあたり、大阪市ならびにイタリア文化会館大阪からもご後援をいただきました。関係各位に感謝いたします。そして、当協会主催とはいっても、実質は地元の会員高岡将之さん率いる実行委員会がすべての運営をとりしきりました。青春のジュゼッペ・ヴェルディ実行委員会の皆様、お疲れ様でした。
(Simon)