2018年07月01日

第3回寺倉寛講演会「青春のジュゼッペ・ヴェルディ」(2018年6月30日)

 アッバードからムーティの時代にミラノ・スカラ座オーケストラで25年間ヴィオラ奏者を務めた寺倉寛さんの講演会。2015年、2016年は大阪市立公会堂で開催しましたが、今回は大津市のびわ湖ホール小ホールで2018年6月30日に開催されました。今回も聴き手は落語作家の小佐田定雄さんです。
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当日は15時からびわ湖ホール大ホールでバーリ歌劇場《イル・トロヴァトーレ》の公演があり、それに続けて19時からの本講演会ということで多くのお客様の来場が見込まれたのですが、天候のハプニング。夕刻に大きな雷雨があり、落雷の影響でJRや京阪が運休。オペラに来場していた人はよかったのですが、この講演会のために大阪・京都方面からの来る方に大きな影響が出てしまいました。それでも、寺倉さんの意向で講演会は定刻に開始しました。
「ミラノ・スカラ座はいつも定刻開始」というお話から対談はスタートします。イタリアでは珍しいことですが、スカラ座は20時の開演時間をきっちり守るのがトスカニーニ以来の伝統とのこと。小佐田さんがすかさず「日本では開演の合図にベルやチャイムが鳴りますが、スカラ座は、何も鳴りませんな。その代わりに、シャンデリアの明かりが点いたり消えたりする。あれはカッコええですなあ。」
(以下、「私」とは寺倉さんのことです。)
その開演時間とも関係ありますが、ある残念な事件を思い出します。スカラ座の音楽監督として19年間君臨したリッカルド・ムーティが2005年に解任されてしまいました。オーケストラ団員の圧倒的多数が不信任投票に賛成したため、と言われていますが、実態はそんなものではありません。本心からの反ムーティ派はほんの5〜6人だったのに、彼らが世間知らずの若い音楽家たちを説得して回った結果、ほとんど無関心だった8割の楽団員が不信任に賛成してしまったのです。もちろんこの解任劇の裏にはいろいろな政治的思惑も絡んでいました。私は(ムーティを支持する)残りの2割の方でしたので、よかった。今でもマエストロに顔向けできますからね。
さてその時にオケ離反の原因のひとつとして取沙汰されたのが「ムーティがスト破りをした」というエピソード。オーケストラがストライキを行った時に、ムーティがピアノ伴奏でオペラ公演を「強行してしまった」というものです。その日私は非番のためスカラの上階にあるリハーサル室で練習をしていました。どうも下の方でもめ事があるらしい、というのでオケピットの入口に降りて行ってみると、いつもなら開演15分前にもなると楽団員たちがウォーミングアップの音出しや練習をしているのに誰もいません。一方で客席にはお客が詰めかけ大変な熱気です。演目は人気の《ラ・トラヴィアータ》ということもあったのでしょう。ふつうなら、オーケストラがストライキを打つときには劇場側が事前に観客に告知して払い戻しの手続等をするものですが、何かの手違いでそれもなかったようです。開演時刻になっても空っぽのオケボックスを見て観客たちが騒ぎ始めました。総裁が舞台に出ていって事情を説明し、チケットは払い戻しますと言いますが誰も納得しません。総裁がすごすごと引っ込んだあとも席を立つお客はいないのです。場内はますます殺気立ってきました。これは大変なことになったと見ていると、舞台にピアノが1台運ばれて来ました。スカラ座にはスタインウェイのフルコンが5台あるのですが、それではなく練習用の標準サイズのグランドピアノです。そしてムーティがスコアを持って登場。歌手たちも登場して演奏会形式でのオペラ公演が始まったのです。観客たちは大喜びで、ことなきを得ました。ムーティはその場をおさめるために臨機応変の対応をしただけなのですが、結果的には「スト破り」のようなことになり、一部の団員に恨みが残ったという次第なのです。
通常オペラのソリストたちの練習は、コレペティトゥアという専門のピアニストによって行われるのですが、ムーティは必ず自分でピアノを弾いて稽古をつけていました。ですからピアノによってオペラ全曲を弾いてしまうのも彼にとっては造作もないことだったのです。
私は、アッバード時代の終わり頃にスカラ座に入りました。当時のオケはひどいもんだったのですが、それはアッバードのせいとはいえません。オケの組合と折り合いが悪くなっていて、彼はあんまり指揮をせず、客演の指揮者ばかりが交代で来ていました。マーゼルとかサバリッシュのような大物の時はまだいいんですが、それ以外の人は、やっぱり次も呼んでもらいたいものだからオケに遠慮して何も言えない。オケを甘やかしていたんですな。指揮者が棒を振り下ろしても音がいっぺんに出てこない。バラバラです。それをムーティが音楽監督になってから力関係が逆転、一歩一歩直して行って、オケも合唱もレベルが上がりました。
そんなムーティが解任されたときには、新聞の取材を受けました。名前を出さない条件で応じたのですが、翌朝の新聞をみると「東洋人の楽団員がこう言った。」と書いてある。まるわかりですわな(笑)。いろいろな人に「あれはお前か」と言われる。その時合唱団に韓国人がふたりいたので「彼らでしょう」といってごまかしました。
<小佐田さん>「そのミラノ・スカラ座に私も行かしてもらいました。3年前にこの対談を頼まれた時です。ヴェルディ協会の高岡さんに<平野に行ってもらえませんか?>と言われたので、平野やったら電車ですぐですから<ああ、ええですよ。>と答えたんです。ところがどうも様子がおかしい。<何日くらい休めますか?パスポートは持ってますか?>と聞かれる。これが平野やなしにミラノやったんですわ。(笑)」
 そうなんですよ。イタリア語はふつうアクセントが終わりから二番目に来る。だからミラノも「ミラーノゥ」と発音する人がいるんですが、これが違うんですね。「平野」と全く同じアクセントなんですわ(笑)。
<小佐田さん>「そのミラノで寺倉さんに会って、スカラ座の中も案内してもらいました。既に退職されてた後なんですが、劇場の人がみんな寺倉さんの顔を見ると<マエストロ!>といって声をかけてくる。たいへんなもんでしたな。」
 いやいやそんなエライもんやないんですが、長くいたもんですからね。
<小佐田さん>「それでそのスカラ座にはどんなきっかけでおはいりになったのですか?」
 大学(同志社大学工学部)のオーケストラ部でヴァイオリンを弾いたり指揮をしてました。そしてテレマン・アンサンブルに入れもらったのですが、その時にヴィオラをやれといわれて、10年やりました。それからミラノのヴィオラの先生のところに1年の予定で留学させてもらったのですが、スカラ座でヴィオラのオーディションをするので受けてみろと言われて受けたら受かってしまったのです。
 ヴィオラという楽器は、基礎技術がしっかりしていないと鳴らないのです。だからヴィオラを上手に弾ける人は、ヴァイオリンの初級・中級のいい先生になれます。
(その後会場からの質問コーナーで「指揮者の特徴について何か」という質問あり)
 指揮者というのは自分が表現したい音楽を体の動きに変換する、いわば一周の舞踏家のようななものです。その踊りの仕方に指揮者の個性が出るのですが、ムーティは一番音楽に忠実で動きが正確、わかりやすい指揮でしたね。カラヤンもそうです。
 でも、指揮者の仕事というのはそう単純なものではありません。動きが正確でなくても大指揮者だった人もいます。ジュリーニがその典型でしたね。見ていてもさっぱりわからない。それでも出て来る音楽はすごいんです。特に手兵のロスアンゼルス・フィルなどではそうだった。永年の付き合いでわかるんでしょうね。
 スカラ・フィルはアッバードが生みの親で、ジュリーニが産婆さん、ムーティが育ての親という感じでしたが、ジュリーニがよく振りに来ていました。指揮者のテクニックがなくても大指揮者だった数少ない例でしょうね。
(「イタリアのオペラハウスのランキングについてのご意見を」という質問に対して)
 やっぱりスカラがダントツですね。最近はイタリアのオペラハウスも完全な公営ではなく、半分は民営なんです。スカラはそのスポンサーがどんどんつく。オペラはお金がかかるものですから、やはりこの財政面で豊かというのがとても大きい。いい歌手を起用していい公演ができるのです。
(「《蝶々夫人》は日本人からみると変な演出が多いが」という質問に対して)
 私は最近の演出はよく知らないのですが、私がやっていたころは浅利慶太の演出でしたから、着物の着方とか、日本舞踊とか、特に変だということはなかったですね。日本人だからといって私が何か聞かれるということはありません。全部日本人の専門家が来て指導してました。
(「歌手についての思い出を何か、きかせてほしい」という質問に対して)
 やっぱりドミンゴでしょうか。とても人柄が良くて誰からも好かれていましたね。ある時、これは録音だったのですが、何回録りなおしてもうまくいかない、ということがありました。そのたびにオーケストラは何度も同じところ繰り返すわけです。それではオケの人たちに悪いからと言って、もうこれでいいです、と彼から言い出したことがありましたね。
 また、ある時、ドミンゴも歳をとってからはいつも調子がいいわけではありませんでした。まだテノールを歌っていた頃ですが、オペラの途中で声が出なくなってしまいました。彼はその時、お客さんに向かって「申し訳ないが、もうこれ以上は歌えません。すみません。」と言って謝ったのです。お客さんは暖かい拍手でこたえました。その後は代わりの歌手が引き継いで歌ったのですが、騒ぎになることはありませんでしたね。
 スカラの大向うというのはうるさいので有名です。ドミンゴは例外。ちょっとできが悪いとすぐにブーイングを喰らいます。若手の歌手なんかおそろしくていつもピリピリしてましたね。あのパヴァロッティも、高音を失敗してしまったことがありました。その時はひどいブーイング。それからパヴァロッティはスカラには出なくなりましたね。ドミンゴだったらああいうことにはならなかったと思います。
それからね、長いことやっていると、事故が起こることもあります。《トゥーランドット》の公演で、ディミトローヴァが歌っていて、ワンフレーズ飛ばしてしまったことがありました。指揮者はマーゼルでした。すぐに気がついてオーケストラを止めます。歌手はまだ歌っていますが、このままだと音楽が止まってしまいます。指揮者は「次は第何小節から」と声に出して指示するわけにいきません。こういう時にどうするのか。誰かがこのへんだろう、と見当つけて弾き始めるんです。それが合っていれば、指揮者はその奏者の方を向いて振り始めるんですね。その時はチェロの首席でした。彼が弾き始めたのを聴いて「ああここか」とわかった人から合わせていく。しばらくすると全体が音を出して元に戻っていくわけなんです。見ているのはパート譜なんですけど、みんな一流の音楽家ですからね、だいたいわかるんですよ。
(こうして、前半の対談は終了。休憩をはさんで、後半は実演を交えた「音楽ミニ知識」というコーナーが予定されています。ところが、寺倉さんは手ぶらで登場します。)
 前回はヴィオラ・ダモーレという楽器を演奏しました。最近は飛行機の機内持ち込みも厳しくなってきまして、この楽器がちょっと大きいので引っかかりました。家内がヴァイオリンだと言い張ったのでなんとか持って来れたのですが、持って帰るのも難儀なので日本に置きっぱなしにしています。練習する機会がありません。それで今回はこれの実演はできません。
(と言って何やらシャツの中から取り出します。)
みなさん、これがなんだかわかりますか?みなさんも小学生の頃、音楽の時間にやったでしょう。昔はスペリオ・パイプなんて言ってましたが、今はリコーダーと呼ぶみたいです。プラスチックでできたたて笛です。これもね、小学生が使うやつで、ケースの袋には「なんねん、なんくみ、だれだれ」と名前を書くところがついています。2,400円でした(笑)。イタリアでも子供はこれをやるらしくって、どこの家庭にいっても1本や2本はころがっているしろものです。今日はこれを使います。
リコーダーもアンサンブルで演奏することがありますが、今日は1本しかありません。「無伴奏」の音楽について考えてみたいと思います。「無伴奏」といえばバッハが有名ですね。ヴァイオリンやチェロ、フルートなど、単旋律の楽器をつかってすぐれた音楽を書いています。
絵画でいえば、オーケストラは総天然色の油絵といったところ。それに対して「無伴奏」は墨絵のようなものでしょう。名人が描いた墨絵が色を感じさせるように、名手が奏でる無伴奏は、他の音も聞こえてくる。聴いている人の想像力を刺激するのです。
これは、落語のテクニックにも通じるところがありますね。落語はひとりの演者が顔の向きをちょっと動かすだけで、いろいろな人物を描きわけます。例えば、ツネやんのセリフがヴァイオリンの主旋律だとするおt、親旦さんのセリフはチェロ、キー坊のセリフはヴィオラのパート。これらを混ぜて演奏して、聴き手の頭の中で組み立ててもらうのです。
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・・・・・と言って、寺倉さんは「G線上のアリア」で知られるバッハの管弦楽組曲第3番のアリアのいくつかの声部を混ぜたものをリコーダーで演奏してみせる。そのあと、さらに管弦楽組曲第2番などよく知られた曲を組み合わせた「プラスチックの笛のための組曲」をリコーダーで演奏。音楽の組み立て、骨格というものが「無伴奏」の形式でよく見えてくる、という実演によりユニークな講演会は大拍手のうちに幕を閉じました。
                                  以上 (Simon)

posted by NPO日本ヴェルディ協会 at 22:31| Comment(0) | イベント報告