2019年07月15日

小畑恒夫講演会<ヴェルディ「中期三大傑作」のルーツ〜パリの大衆演劇、メロドラム>(2019年7月14日)

 7月14日(日)、日比谷図書文化館スタジオプラスで当協会理事長小畑恒夫の講演会が行われました。
ヴェルディの《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》(1953年初演)《イル・トロヴァトーレ》(1953)《リゴレット》(1951)は世界中で最もよく上演されるオペラで中期三大傑作といわれます。これらに《スティッフェーリオ》(1850)《ルイーザ・ミッレル》(1849)を加えた5作をヴェルディの「中期」「円熟期」の作品と小畑氏は考えています。これらの作品群によってヴェルディはそれまでのオペラにはなかった革新的な手法を確立し、オペラを声や音楽だけではなくドラマと密着した舞台芸術とすることに成功しました。
 これに先立ち、1847年7月から1849年7月までの約2年間、ヴェルディは後に妻となるジュゼッピーナ・ストレッポーニと同棲する形でパリに滞在して様々な刺激を受けます。その中のひとつが、当時パリで流行っていた大衆演劇「メロドラム」であったのではないか、というのが今回の講演のテーマでした。
 ラシーヌ、コルネイユらに代表されるフランスの古典劇が行き詰まり(モリエールからボーマルシェへと受け継がれてきた喜劇の方はある程度活力を維持していたが)、ユゴーの『エルナニ』によってロマン主義演劇が登場するまでの過渡期である帝政期に現れて大衆に支持されたのがメロドラムでした。メロドラム(メロドラマ)の「メロ」はギリシア語の「メロス(歌)」に由来し、「音楽付き」のドラマであったことが特徴です。役者によって語られるセリフによって劇が進行する点は普通の演劇と変わりがないのですが、効果音や情景を語るものとしてオーケストラによる音楽が演奏され、時によっては合唱が挿入されることもあったそうです。
ヴェルディが住んでいた頃のパリでは「犯罪大通り」と呼ばれる界隈にこうした大衆演劇を上演する「歴史劇場」「ポルト・サン・マルタン劇場」などの芝居小屋が立ち並んでいたそうです。ヴェルディはおそらくストレッポーニを案内役としてオペラだけでなくこうした大衆演劇にも足しげく通っていたことが当時の手紙から推察されるのでした。
 この日の講演では、当時のメロドラムに使われた音楽の楽譜がいくつか残っており、その中からヴェルディが自分のオペラに転用したと思われる譜例がいくつか紹介されたほか、中期5作品におけるメロドラムの手法の影響を受けたと思われる部分(主として歌らしからぬモノローグや対話が登場する場面の音楽の使われ方)についてDVD上映によって具体例が示されました。
 筆者にとっても非常に刺激的で新しい発見に満ちたお話でしたが、来場者のアンケートでも「斬新で興味深いテーマだった」「ヴェルディ協会ならではの内容だった」「内容が充実していて、しかもわかりやすく満足した」といった感想が聞かれ、好評でした。          (Simon)

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posted by NPO日本ヴェルディ協会 at 12:00| Comment(2) | オペラ考