2015年05月20日

<悪魔め、鬼め>考

日本ヴェルディ協会の会報『VERDIANA』第35号が発刊されました。
目次についてはホームページ内の「ヴェルディ関連資料」「VERDIANA(会報)」をご覧ください。
http://www.verdi.or.jp/references/verdiana31_40.html#verdiana35
今回は、その中の拙文《リゴレットあれこれ》の中から、<悪魔め、鬼め>の章を抜粋してご紹介します。
全文にご興味のある方は是非、VERDIANAをご購読ください。
<<<<以下、引用>>>>
2015年2月19日の東京二期会の《リゴレット》は、強烈な印象を残す公演でした。その印象とは、「バッティストーニの《リゴレット》」だったということ。
アンドレア・バッティストーニの指揮は、その若さ迸るようなダイナミックな指揮ぶりとは裏腹に、紡ぎだされる音楽が緻密で老練といってもいいクールな美しさを持っています。今回は特に、歌手の個人技よりもアンサンブルや合唱、オケとのバランスといったトータル・パフォーマンスとしての演奏を楽しむ公演でした。首席客演指揮者として関係を築いてきた東京フィルとの息もぴったり合っていて、隅々に若きマエストロの意志が浸透していることを感じるとともに、何度もこのオペラを聴いてきた者にとっても新鮮に感じるところが随所にみられたのです。
例えば、第二幕のリゴレットのアリア<Cortigiani, vil razza dannata,…(廷臣たちよ、卑怯者で罰当たりな輩よ…)」の前半部で弦が刻む六連符の凄まじい速さ。こんなに速いテンポは聴いたことがありません。歌手の声を聴かすことが主眼の昔の大歌手の時代の録音ではこのアリアのテンポがゆっくりめであったのは当然としても、ムーティのような歌手の専横を許さない指揮者であってもここまで速く演奏することはないでしょう。
しかしながら、こうして超高速の<Cortigiani,…>を聴いてみると、ユーゴーの原作におけるこのトゥリブレ(リゴレット)が悪態をつく場面が持つ「鋭い毒」の要素を、検閲対策のために歌詞としては生ぬるいものにに緩和せざるを得なかったヴェルディが、音楽の上ではその激しい毒の要素を表現しようとした、ということがよくわかってきます。
なにしろ原作のこの場面でトゥリブレは、フランスの貴族の名家の名前を次々に挙げたあとに「貴様らの母親はみんな召使に淫売していたのだ。そこから生まれた貴様らはみんな卑しい庶子(バタール)だ。」と言い放つのです。このセリフが問題とされて『王は愉しむ』は一日で上演禁止になったのです。
バッティストーニが、おそらくこうした背景まで意識して曲作りをしていたことは、前週にイタリア文化会館で行われた講演会における彼の言からもうかがえます。
それにしてもこのテンポを一糸乱れずに演奏してのけた東フィルのヴィルトゥオージティは素晴らしいものだと言えましょう。今年3月に発表されたCNNのiReportで世界のオーケストラ・ランキングでTOP10入りしたのも全く違和感のない評価であると感じられます。
このアリアでは前半の疾走する「怒り」に対して、後半ではテンポが少し緩やかになり「哀願」と悲痛な「嘆き」が歌われます。つまり、緩から急になる伝統的なカヴァティーナ・カバレッタ形式のアリアとは逆です。この後半におけるテンポの絶妙なルバートにおいても、バリトン上江隼人の歌とコルノ・イングレーゼ(イングリッシュ・ホルン)の絡みあい、そしてそれを支えるチェロの六連符がぴたりと息が合っていて見事なものでした。指揮者の力量を見せつけた場面だったと思います。
さて、この<Cortigiani, vil razza dannata,…>というアリア、日本ではよく<悪魔め、鬼め>という題名が使われます。
ところが辞書を引いてみますと「Cortigiani」とは「廷臣」、「vil(vile)」は「卑怯な」、「razza」は「種族」、「dannata」は「地獄に落ちた、呪われた」といった意味。「悪魔」とか「鬼」という意味の言葉はどこにもないのでした。
はて、と思って原作の方をあたってみると、この部分のトゥリブレのセリフは「Courtisans! courtisans! démons! race damnée! (廷臣たちよ!廷臣たちよ!悪魔め!地獄落ちの連中め!」とあり、ちゃんと「démons(悪魔)」という言葉が登場しています。イタリア語の歌詞にするときに「demonio」では強すぎて検閲が危ないとピアーヴェが考えたのか、あるいは曲作りの都合(音節数)でヴェルディが注文をつけたのかわかりませんが原作の「悪魔(démons)」という言葉は「卑しい(vil)」に置き換えられてしまったわけです。
今でこそわが国でも字幕付き原語上演が普通になりましたが、かつては日本語訳詞による上演が行われていました。全音オペラシリーズの楽譜でこの曲につけられた日本語歌詞(堀内敬三訳詞)をみると、「あーくまめ、おにめ、ごくどうめ」となっています。
対訳とは違って実際に曲に載せて歌われる訳詞には音型に合った日本語を選ばなければならない、という制約があります。「ていしんたちよ」では「Cortigiani」という4音節にまったく合いません。おそらく堀内先生は苦心惨憺、フランス語の原作にまであたって「悪魔」という言葉をみつけ「意訳」されたのではないかと思います。
バッティストーニの超高速テンポに触発されて、あらためてユーゴーの原作のセリフにあたってみた結果、有名なアリアの邦題名がイタリア語歌詞とは違うものになっている理由が、おそらくはこうした「訳詞上演」の時代を経たためであるらしい、ということにあらためて気がついた次第です。
                                            (Simon)
                           
posted by NPO日本ヴェルディ協会 at 00:56| Comment(0) | オペラ考
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