2015年06月16日

寺倉寛さん講演会(2015年6月12日 大阪市中央公会堂)

同志社大学の学生オーケストラのアマチュア演奏家からプロのヴィオラ奏者となり、テレマン・アンサンブルを経てミラノ・スカラ座の楽団員になってしまったという「どてらい男」寺倉寛さんに、米朝一門の台本を手がける落語作家の小佐田定雄さんが突っ込みをいれる、といういかにも大阪らしい軽妙な上方弁による掛け合い対談会が6月12日に当協会主催で行われました。
会場となった大阪市中央公会堂は、大正7年に竣工したネオ・ルネサンス様式の歴史的建造物。堂々たる赤煉瓦造りの外観は同じ辰野金吾設計の東京駅駅舎に似ています。その大ホールの杮落とし公演は、ロシア歌劇団による《アイーダ》だったそうです。今回の講演会が行われた3階の小集会室も、高い天井にはステンドグラスがはめられた美しい明りとりもある非常に豪華で美しいホールです。
協賛いただいたパナソニック株式会社ご提供のTechnics音響機器からムーティ指揮の《ラ・トラヴィアータ》前奏曲の美しいメロディーを「出囃子(小佐田さんの表現)」として、おふたりが登場。
小佐田さんは、なんとこの日のために事前にミラノ旅行を敢行、寺倉さんに事前インタビューをするとともにスカラ座でオペラを観たり、ヴェルディが作った「音楽家憩いの家」を見学したり、と準備万端。トークは最初から快調でした。スカラ座のバックステージを案内してもらった小佐田さん、寺倉さんを見つけた劇場関係者たちがみんな寺倉さんを「マエストロ!」と呼んで親しげにハグするなど、歓迎するのを見て、その大物ぶりを実感したそうです。
寺倉さんがミラノに渡った経緯については割愛させていただきますが、海外留学先としてミラノを選ばれたのは歌手である奥様が既にそこに在住されていた、ということが理由であったとのこと。(当日は寺倉夫人も小佐田夫人ともに会場におられました。)1年程度の留学のつもりで渡伊したところ、当時スカラ座では弦楽器奏者不足のため外国人にも門戸が開かれるという幸運があってオーディションを受けることになり、見事合格してスカラに入団。それが、1981年12月のことで、以後2007年に60歳で定年退職されるまでの25年間をスカラ座およびスカラ・フィルの団員として活躍されました。
入団当時は芸術監督アッバードの末期の時代で、スカラ座のオケの水準は寺倉さんに言わせると「ひどかった」とのこと。とにかく指揮者を見ていない。どうやって合わせるのかというと、周りに合わせるのだという。だから、指揮者が棒を振り下ろしてもすぐに音が出てこない。「一番槍は血だらけになる」からみんな様子を見ている。そんな独特の表現で寺倉さんのウラ話が次々と繰り出されました。
私のようなシロウトには、当時のスカラの実力は十分ハイレベルであったように思われますが、集団行動が得意で規律を重んじる日本の団体で活動されたプロの目からみるといろいろなご不満があったようです。寺倉さんご自身がヴィオラパートの中で改革運動をするとともに、マエストロ・ムーティの着任によりスカラ座オーケストラの欠点は少しずつ改善されていったとのこと。それでもベルリンやウィーンに肩を並べる世界の超一流オーケストラの水準に達するまでには10年以上を要したそうです。1990年代の終わり頃からムーティが退任する2005年までの期間が、スカラ座オーケストラの絶頂期であったというのが寺倉さんの評価でした。
オケ・ピットの中では自分の楽器を弾くのに一所懸命でオペラ全体を聴く余裕なんてなかった、とおっしゃっていましたが、歌手についてのエピソードもいくつかご紹介くださり、パヴァロッティは音程が甘くて野次り倒されたのに、ドミンゴは舞台の途中で歌い続けることができなくなった時に暖かい拍手で送られた話などのほか、面白かったのは2006年の《アイーダ》公演での例の「アラーニャ・スキャンダル」にまつわるお話。もともとリハーサルの時から指揮者シャイーとアラーニャのテンポが合わない状態だったとのこと。イン・テンポで曲が持つ本来の美しさを表現したい指揮者となるべく粘って声を聴かせたい歌手。普通、本番では破たんを避けるために指揮者が妥協するのが普通でしたが、あの時は両者譲らず、それが原因で客席の大ブーイングとなったというのが真相のようでした。
最後には、日本にもファンが多いバルバラ・フリットリのお話。音楽院在学中の頃から抜擢されて舞台に立つような逸材だったそうですが、もうひとり同時に抜擢された若手歌手が楽屋でも勉強に余念がないのに対して、バルバラはのんびりしたもので若い時から大物ぶりを発揮していたそうです。押しも押されもせぬプリマ・ドンナになった後も、劇場内のカフェテリアなどで顔を合わせると寺倉さんを「マエストロ」と呼ぶ。「やめてください。私は一介の楽団員。ソリストであるあなたの方がマエストラですよ。」と言ったりするのですが、いつのまにかこちらの飲み物代まで払ってくれていたこともある、そんな気さくで気遣いの細やかな素顔を持ったチャーミングな人物とのことでした。
寺倉さんの話はまだまだ続きそうな気配でしたが、時間の関係もあっていったん打ち切り。
実はこの日(6月12日)は寺倉さんの誕生日。最後は、会場に居合わせた同志社大学交響楽団OBで市会議員の野伸生さんの指揮により「ハッピー・バースデイ」の大合唱をサプライズでお贈りして幕となりました。
(Simon)
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posted by NPO日本ヴェルディ協会 at 11:58| Comment(0) | 講演会報告
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