2015年06月25日

『ヴェルディの全オペラ解説』完結記念懇話会(6月24日)

image.jpg標記の会が、著者の崎保男先生をお招きして東京文化会館大会議室で行われました。以下に、当日のお話の概要を記します。(文責は当方にあり、聴き間違いなどあるかもしれませんがご容赦ください。以下、「私」とは崎先生のことです。)

 ヴェルディの没後50年にあたる1951年は私が大学に入って音楽史の勉強を始めたころで、LPレコードが出始めた時期でもありました。当時日本ではまだ製造されておらず、全てが輸入盤でした。私が最初に購入したオペラ全曲盤はタリアヴィーニが主演した《夢遊病の女》(1953年録音)で、そのCETRAの解説書の後ろにヴェルディ初期作品のリストが出ていたことに強い印象を受けました。戦前からの日本の常識では、《リゴレット》以前のヴェルディ初期作品は先行するベルカント・オペラ諸作品の単なる模倣であって顧みるに値したいとされていたからです。
 CETRA(フォニット・チェトラ・レコード:筆者注)は、イタリア国営放送(RAI)の子会社で、当時、《オベルト》《一日だけの王様》《イ・ロンバルディ》などのヴェルディ初期全作品の全曲盤制作を目指していました。全部は完成しなかったのですが、10曲くらいはリリースされたはずです。
 当時はイタリアでさえそんな状況で、《リゴレット》以前のヴェルディ作品は殆ど上演されていなかったのです。たとえばナマ演奏の《オベルト》は1977年ボローニャでの復活上演が戦後初であったとのこと。70年代というのはちょうどロッシーニ・ルネサンスが始まる時期とも一致します。
その頃、ガルデッリ指揮によるフィリップスのヴェルディ初期シリーズも始まりました。デッカの名プロデューサー、ジョン・カルショーのもとで修業したエリック・スミスがプロデュースしたもので、ベルコンツィ、カップッチッリ、カバリエ、リッチャレッリなど歌手の起用も超一流でしたが、特に画期的だったのは全曲「ノー・カット」演奏であったことです。
イタリア・オペラの世界では「伝統的なカット」が常識とされてきました。例えば、ムーティの著書によると、彼がフィレンツェの五月音楽祭で《イ・マスナディエリ(群盗)》の指揮をしようとしたとき、劇場のライブラリにあった総譜は「伝統的カット」部分のページがホッチキス止めされていたとのこと。あの大指揮者トゥリオ・セラフィンでさえこの「伝統」には忠実でした。また、1988年のマチェラータ音楽祭で《ラ・トラヴィアータ》が演奏された時のこと。インテンダントのジャンカルロ・デル・モナコはノー・カット演奏を求めたのですが、ジェルモン役のカップッチッリは、第2幕第1場幕切れのアリア<プロヴァンスの海と陸>の後半部分のカバレッタについて、当時はカットされることが常識だったため「歌ったことがない」といって拒絶し帰ってしまった、ということもあったのです。
ノーカット版録音の試みは、実は1950年代にデッカのジョン・カルショーのもとで始まっており、デル・モナコ、テバルディが主演したモノラル盤《イル・トロヴァトーレ》が最初でした。
とにかく、この『ヴェルディの全オペラ解説』は、序文でも申し上げたように、主に1970年代、80年代のレコー ド全曲盤ライナーノーツに書いた解説をもとにして作ったこのですが、このフィリップスのヴェルディ初期シリーズの仕事が回ってきた、ということが大きかったわけです。
それでも私が、今まで一度も解説を書いたことがないヴェルディのオペラが5つありました。それらは、《ジョヴァンナ・ダルコ》《ルイザ・ミッレル》《イェルサレム》《アロルド》そして、これはたまたま機会がなかったということになるのですが《オテッロ》。
50年前にはヴェルディの作曲当時のことについては未知の部分がたくさんありました。その後、リコルディ社とシカゴ大学の協力により、クリティカル・エディションが順次発行されるようになり、たとえば、《マクベス》の改訂前のオリジナルの姿はどんな音楽だったのか、が辿れるようになりました。
それでも、まだクリティカル・エディションが出ているのは28曲のうちの半分以下です。
なかでも《イェルサレム》は、そもそも楽譜が出版されていないので苦労しました。日本ではもちろん入手できません。調べてみたらパリの国立文書館に自筆譜が保存されているとのこと。出かけて行って閲覧するのも大変なので、一部でもコピーを入手できないか、と働きかけたところ、幸い全曲をコピーして送ってくれたので、やっと解説を書くめどが立ちました。
 この《イェルサレム》は《イ・ロンバルディ》の改作で、ヴェルディが初めてフランス語のオペラに取り組んだものですが、劇そのものは《イ・ロンバルディ》よりむしろドラマティックになっています。ところが音楽の方は無理にフランス語にあてはめているようなところがある。ベテラン歌手のアルベルト・クピドなどは「ヴェルディの作品の中で一番つまらない」と言っています。イタリア・オペラ的な様式感や語法とは合っていないので、イタリア人歌手からみるとそういう評価になるのかもしれないのでしょう。
 とにかく、ヴェルディのオペラの魅力は、言葉ではなかなか語りつくせません。全てのヴェルディ・オペラの上演をナマで観ておきたいのですが、いまだに《アルヅィーラ》と《アロルド》だけは観ていません。これらはそもそも上演の機会がなかなかないからです。

 話題を変えて、最近のヴェルディ演奏について。
 若手の指揮者には素晴らしい人材が出てきていると思います。なかでも「断然おもしろい」と思うのは、アンドレア・バッティストーニ。その演奏を聴いたのは、二度の来日公演《ナブッコ》《リゴレット》、ヴェローナ《ラ・トラヴィアータ》、トリノ《マクベス》など全てヴェルディのオペラでしたが、指揮する姿からしてヴェルディの面白さを体現している。こんな風に感じられるのは、カルロス・クライバー、リッカルド・ムーティ以来のこと。オケが未成熟なトリノでは、まだ情熱一辺倒では空回りする面もありますが、さらなる成長が期待できると思います。
 同年代のダニエレ・ルスティオーニも《イ・マスナディエリ(群盗)》が良かった。「イタリア若手指揮者三羽烏」のもうひとり、ボローニャのミケーレ・マリオッティも優れた指揮者だと思いますが、まだヴェルディの演奏は聴いていないので、評価は差し控えておきましょう。
 歌手の有望株最右翼は、マリア・アグレスタ。マチェラータで聴いた《アッティラ》のオダベッラは、ドランマーティコ・ダジリタの役を完璧に歌いこなしていたと思います。今年、トリノで《ノルマ》を歌うのでぜひ聴きに行きたいと考えています。
 昨年(2014年)のザツルブルグ音楽祭で話題になった《イル・トロヴァトーレ》は、美術館に舞台を移すヘルマニスの演出に何らの必然性も感じられず、奇をてらっただけのものでした。あんなものが意外にも評判が悪くないらしいのがわけがわからない。パリのチェルニコフ演出の《マクベス》もこんなひどいものは見たことがない、というものでした。
 それに比べると、今回DVDで映像をお見せするベルリンの《イル・トロヴァトーレ》(ネトレプコとドミンゴという主要キャストがザルツブルグと同じ)では、シュテルツェルの演出が単なる奇抜ではない新規性があって面白く、バレンボイムの指揮(スカラ時代などの彼のヴェルディ演奏はあまり好きではなかったのですが)も、これぞヴェルディという音楽の美しさと様式感をしっかり押さえたもので、さすがだと見直しました。ドミンゴのルーナ伯爵も、声がバリトンではないのでシモンやリゴレットでは「暗さ」が足りないとかんじられたが、この役では明るめの声でもそんなに違和感はない。現代のヴェルディ演奏のひとつのあり方を示す例として紹介します。
 
ということで、以下のDVDの主要シーンをその場で鑑賞:
 《イル・トロヴァトーレ》2013年12月ベルリン国立歌劇場公演
指揮:ダニエル・バレンボイム
演出:フィリップ・シュテルツェル、装置:コンラッド・モーリッツ・ラインハルト
衣装:ウルスラ・クトルナ、照明:オラフ・クドーゼ 
レオノーラ:アンナ・ネトレプコ
ルーナ伯爵:プラシド・ドミンゴ
マンリーコ:ガストン・リベロ
アズチェーナ:マリナ・ブルデンスカヤ
フェランド:アドリアン・セムペトレーン

なおこれは、ベルリン国立歌劇場(シュターツオパー)の公演ですが、いわゆる「リンデン・オパー」と呼ばれる本拠の劇場が改修工事中のため、シラー劇場で上演されています。狭い空間を効果的に生かすために、正方形を45度回転させて2辺が客席側に張り出す形の小さな舞台には何も大道具を置かず、後方の2面の壁に移された映像と小道具のみで場面転換。幕間の休憩なしに各幕を連続して見せる、など、舞台進行の面でも新機軸の演出といえるものでした。
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                                       (Simon)
posted by NPO日本ヴェルディ協会 at 18:58| Comment(0) | 講演会報告
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