2015年07月27日

ヴェルディお気に入りの「ラ」

コンサートマスターが立ち上がるとオーボエが「A」の音を出して各楽器奏者が一斉にチューニングに入る。オーケストラの演奏会が始まる前にお馴染の光景です。
このA(イタリアでは「ラ」)音のピッチの国際標準は440ヘルツとされていますが、今や日本や米国のオーケストラでは442Hzが主流、ベルリン・フィルやウィーン・フィルは448Hzともいわれています。輝かしい派手な音を好んだカラヤン以来、ピッチはどんどん高くなる方向であるとか。
これについて先日、イタリアの「CITYMEG」というウェブ・サイトに興味深い記事が掲載されました。(http://citymeg.com/blog/2015/06/29/la-piaceva-verdi/
記事のタイトルは「Il “LA” che piaceva a Verdi(ヴェルディお気に入りの「ラ」)」。これによると、ジュゼッペ・ヴェルディは、「自然なラ音(La naturale)」の使用を法制化するためにイタリア政府と戦った、とのこと。以下にその記事の概要を紹介します:
>>以下、要約して引用>>「自然なラ音」とは、18世紀までの楽派が物理学的にも人体にとって最も自然に感じられるとして採用していた周波数432ヘルツのラ(A)音のこと。この周波数は、ケプラー、レオナルド・ダ・ヴィンチ以来、多数の学者によって数学的に研究された結果、大脳半球の中でも最も均衡の得られる値であり、ストラディヴァリも自作のヴァイオリンの調律を432Hzで行っていた。
このラ音を432Hzに調律した音楽は、人体の生化学的働きの周波数と「同調」して、治癒力を高める結果をもたらすとともに、いわゆる宇宙の周波数として精神物理学的にも様々な恩恵をもたらす。
この432Hzを調律ピッチとすることを推奨した最初の人物は音響物理学の父といわれるフランスの物理学者ジョゼフ・ソーヴール(1653〜1716)。
ところが、ナポレオン戦争終結後に招集されたウィーン会議(1815年)で、ロシア皇帝アレクサンドルT世が「もっと輝かしい音」を所望すると、全欧州の王侯たちがこれに賛同。ちょうどその頃、古典派に対抗して台頭しつつあったロマン派のフランツ・リストやリヒャルト・ワグナーがもっと高いピッチ、すなわち現行標準の440Hzのラ音を支持、瞬く間に普及することになった。
これに対し、ヴェルディは他のイタリアの音楽家たちを糾合して1881年に議会に請願を提出。その結果、1884年にイタリア政府は調律用音叉の周波数を432Hzに「正常化」することを命じた政令を発した。しかしながらこの命令は長続きせず、実際には全ての音楽学校、楽器製造者は440Hzのラ音を採用するようになってしまった。
<<以上、要約引用おわり<<
この記事には筆者の署名がなく、学問的に正しい言説なのかどうかは定かでありません。
そもそも、現代でも、ピリオド楽器を用いてバロック音楽などを演奏する場合のピッチは440Hzより「半音」低い415Hzが標準などといわれています。18世紀までは432Hzが主流だった、といわれてもあまりピンときません。しかし、アントニオ・ストラディヴァリ(1644〜1737)はソーヴールと同時代人ですから432Hzを基準に楽器作りをしていた、というのはあり得る話ともいえそうです。
ストラディヴァリの時代のクレモーナの銘器を現代のコンサート・ピッチで酷使していると楽器を傷めてしまうという議論は今までにも耳にしたことがあります。
声帯が楽器である歌手にとっても、徒に高いピッチは好ましくありません。
興味を覚えたので、インターネットの中に現れている記事をいろいろと渉猟してみました。
その結果、いくつかのことがわかってきました。
1980年代に、リンドン・ラルーシュという米国の政治活動家に関係する「シラー研究所(Schiller Institute)」というシンク・タンクおよびこれを支持する音楽団体などが432Hzを「ヴェルディ・ピッチ」あるいは「ヴェルディ・チューニング」と呼んで標準ピッチにする運動を始めたようです。ラルーシュ氏は、米国大統領選挙常連の「泡沫候補」として知られた米国言論界の異端児。
Aを432Hzにしたときに対応するCは256Hzとなり、それをオクターブで並べると、32、64、128、256、512、1024ときれいな2の整数倍になる。人間の肉体の振動も2の倍数で支配されているので、この「自然な」倍数列を持つ周波数を使うことが人間の生理に合っており「科学的」でもあるのだ、というのがこの団体の主張であるようです。ヴェルディが432Hzを推奨したということ、432Hzが科学的に理に適ったピッチであること、ということを主張している記事はネット上で沢山見つかるのですが、その殆どがなんらかの形でシラー研究所と関係のあるもののようでした。
1881年というと、ヴェルディがアッリーゴ・ボーイトの協力を得て《シモン・ボッカネグラ》の改訂版を世に出した年で、伝記作者たちからは晩年の傑作《オテッロ》(1887年初演)を完成させるための長い助走期間の開始時期とされている時期です。この頃の伝記の記述は、ボーイト、リコルディ、ファッチョ、ストレッポーニなど周囲の人間たちが、気難しい老巨匠をなんとかその気にさせようと苦心する話であふれています。しかしながら、ヴェルディが432Hzを法制化する運動の先頭に立ったという記述には、寡聞にして私は今までに出会ったことがありませんでした。
一方で、歌手の生理に精通しているとともに、ワーグナーに代表される北方の音楽潮流に反発心を持っていたヴェルディが標準ピッチを下げようとした、というのはあり得る話のようにも思われます。
ライアー(イタリア語ではリーラ)と呼ばれる古代ギリシア以来の古風な竪琴は432Hzで調弦するのが標準であるという話もあります。
「治癒力を高める」というような話は「科学的」というよりは「神秘的」であるような気もしますが、人間の生理にあったピッチというのがあるのだとしたら、その調律による音楽を聴いてみたいという気もします。

                                       (Simon)
posted by NPO日本ヴェルディ協会 at 14:09| Comment(0) | オペラ考
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