2015年08月14日

ヴェルディのテノール

2015年8月11日のアレーナ・ディ・ヴェローナ《アイーダ》で、グレゴリー・クンデが歌うラダメスを聴きました。(指揮:アンドレア・バッティストーニ)
image.jpg
テノール好きの方々には失礼かもしれませんが、私は常々、ヴェルディはテノールが嫌いだったのではないか、と思ってきました。
なぜなら、オテッロとリッカルド(グスターヴォ)を除くと、ヴェルディのオペラに出てくるテノール役はどれもが思慮が浅く能天気な直情径行型に描かれているからです。色好みのマントヴァ公爵は言うに及ばずマンリーコは恋人が毒をあおってまで自分を助けようとしているのに気がつかずにレオノーラを詰りますし、アルフレードは満座の中でヴィオレッタを辱め、ガブリエーレ・アドルノもアメーリアがシモンの囲い者になったのではないかと勘違いして逆上します。
ラダメスも例外ではありません。第3幕、夜のナイルの岸部で待つアイーダに密会するために彼が現れる場面で使われている音楽の能天気なこと。特にドミンゴが歌うそれはデートの場所にやってきた男が「アイーダちゃん、待ったあ?ごめんね〜。会いたかったよ〜。」という感じで「やに下がった」感にあふれています。いかにもすぐその後で女の色香に迷って軍機を漏らしてしまうダメ軍人らしい、といえばそのとおりで、さすがドミンゴ、ヴェルディ先生のテノールに対する悪意をそのまま感じ取って音楽にしている、と感心した次第です。(そして彼はテノールを辞め、バリトンになりました。)
ところが当夜のクンデのラダメスはどこか違いました。
まずは、伏線があります。第一幕に歌われるラダメスの有名なアリア《清きアイーダ》。
このアリアの時点ではまだどのテノールが歌っても英雄的でかっこいい武人の姿です。この役を歌う歌手はリリコ・スピントといわれる力強い声を持ったテノールがふさわしく、輝かしい声で逞しく朗々と歌い上げる場面です。カルーソーの録音などを聴くと、過剰にポルタメントをいれて甘く歌い崩す思い入れたっぷりの歌い方が主流であった時期もありますが、近年この役を得意にしたカルロ・ベルゴンツィやドミンゴなどは比較的スタイリッシュに、すなわち楽譜通りに歌う傾向にはなってきていました。然しながら、アリアの最後の部分「un trono vicino al sol」の「sol」を最高音で引っ張るところ、楽譜ではディミヌエンド(譜面表記はmorendo)してピアニッシモで終わるように指示されているのですが、大抵の歌手はフォルテのまま、派手に引き延ばして終わります。テノールであっても高いB音を絞るのは非常に難しく、ましてやスピント系の重い声の歌手には至難の技というべきことなのでしょう。(好調な時のフランコ・コレッリは声を絞る終わり方をしていますが、前半はポルタメントしまくりですので、楽譜通りとはいえません。)この最後の音をクンデは輝かしいフォルテで長く伸ばしたあと徐々に声を絞り、最後はファルセットに近いソット・ヴォーチェで締めくくってみせたのです。
一方で、アリアの入りの部分、「celeste Aida」の「Ai-da」などの上昇部分を、ベルゴンツィなどは「歌い崩し」を嫌うあまりに素気なく「楽譜通りに」上げてしまうのですが、クンデは、ベルカント伝統のアッポジャトゥーラを嫌味にならない程度に入れて滑らかに上昇させます。楽譜に書いていないといえばいない音なのですが、ベルカントでは入れることがある意味お約束になっている歌い方です。この時代のヴェルディがどこまでこれを許容したのかはよくわかりませんが、ロッシーニ歌いから出発したクンデとしてはこれが自然なのでしょう。そのほか、高音の張りは十分に輝かしく力強いスピントの声なのですが、締めくくりだけでなく途中の高音部でも広い会場に臆することなくソット・ヴォーチェに絞ってみせるなど、リリコ系の歌い回しの巧さもみせてくれました。
一言でいうと、後期ヴェルディを歌うのにふさわしい逞しい声でありながら、力任せに叫ぶのではなく、繊細なベルカントのテクニックを駆使しながら歌う歌手が出現した、ということでしょうか。
ロッシーニ歌いからヴェルディも歌うようになったテノールといえば、2014年のローマ歌劇場来日公演《シモン・ボッカネグラ》でガブリエーレ・アドルノを歌ったフランチェスコ・メーリもその口です。その公演の感想文に私はこう書きました:「スピント系テノールによって歌われることも多いこの役を、弱声を巧みに織り交ぜるリリカルな歌唱スタイルで実に清潔に優美に歌ってみせ、新しいアドルノ像をみせてくれました。従来の直情径行で単純な青年というイメージを払しょくし、男らしく高潔で元首(ドージェ)の後継者に相応しい人物としてのアドルノを聴いたのは今回が初めてです。」
この夜のクンデにも似たような印象を受けました。メーリよりはさらに逞しい声ですが、それを押し出したりせず、ベルカント唱法を駆使して後期ヴェルディを歌っている点は似ています。そして、その結果なのかどうか、クンデのラダメスも「直情径行で馬鹿なテノール」ではなく、「男らしく高潔な」若い将軍に見えるのです。これはいったいなんなのか?私には、まだ十分な答えが出せていません。しかしながら、ヴェルディの時代の歌手たちは、まず確実にベルカント(オペラ様式のベルカントではなく、唱法としてのベルカント)の技法を身に着けていたことは確かでしょう。したがって、ヴェルディは別にテノールに悪意を持っていたわけではなく、当時の一流のテノールが歌えば英雄的で高潔な主人公が描けるようにちゃんと音楽は書かれていたのかもしれません。
一方で、ヴェルディの後にヴェリズモの時代があり、現代の歌手たちは、ベルカント唱法を身に着けなくても、後期ヴェルディとヴェリズモ以降だけをリパートリーにしても食っていける状況ではあります。このあたりにヒントがありそうです。
なお、2013年のヴェネチア・フェニーチェ座来日公演《オテッロ》でのクンデには、それほど感銘を受けませんでした。オテッロに関していえば、圧倒的に、デル・モナコやドミンゴの方が感動的です。これは、オテッロはもともと「高潔だが直情径行型の英雄」が陥る悲劇であることからきているのかもしれません。
                                       以上 (Simon)

※ この記事は筆者個人の見解であり、日本ヴェルディ協会の公式見解ではありません。
posted by NPO日本ヴェルディ協会 at 00:01| Comment(0) | オペラ考

2015年07月27日

ヴェルディお気に入りの「ラ」

コンサートマスターが立ち上がるとオーボエが「A」の音を出して各楽器奏者が一斉にチューニングに入る。オーケストラの演奏会が始まる前にお馴染の光景です。
このA(イタリアでは「ラ」)音のピッチの国際標準は440ヘルツとされていますが、今や日本や米国のオーケストラでは442Hzが主流、ベルリン・フィルやウィーン・フィルは448Hzともいわれています。輝かしい派手な音を好んだカラヤン以来、ピッチはどんどん高くなる方向であるとか。
これについて先日、イタリアの「CITYMEG」というウェブ・サイトに興味深い記事が掲載されました。(http://citymeg.com/blog/2015/06/29/la-piaceva-verdi/
記事のタイトルは「Il “LA” che piaceva a Verdi(ヴェルディお気に入りの「ラ」)」。これによると、ジュゼッペ・ヴェルディは、「自然なラ音(La naturale)」の使用を法制化するためにイタリア政府と戦った、とのこと。以下にその記事の概要を紹介します:
>>以下、要約して引用>>「自然なラ音」とは、18世紀までの楽派が物理学的にも人体にとって最も自然に感じられるとして採用していた周波数432ヘルツのラ(A)音のこと。この周波数は、ケプラー、レオナルド・ダ・ヴィンチ以来、多数の学者によって数学的に研究された結果、大脳半球の中でも最も均衡の得られる値であり、ストラディヴァリも自作のヴァイオリンの調律を432Hzで行っていた。
このラ音を432Hzに調律した音楽は、人体の生化学的働きの周波数と「同調」して、治癒力を高める結果をもたらすとともに、いわゆる宇宙の周波数として精神物理学的にも様々な恩恵をもたらす。
この432Hzを調律ピッチとすることを推奨した最初の人物は音響物理学の父といわれるフランスの物理学者ジョゼフ・ソーヴール(1653〜1716)。
ところが、ナポレオン戦争終結後に招集されたウィーン会議(1815年)で、ロシア皇帝アレクサンドルT世が「もっと輝かしい音」を所望すると、全欧州の王侯たちがこれに賛同。ちょうどその頃、古典派に対抗して台頭しつつあったロマン派のフランツ・リストやリヒャルト・ワグナーがもっと高いピッチ、すなわち現行標準の440Hzのラ音を支持、瞬く間に普及することになった。
これに対し、ヴェルディは他のイタリアの音楽家たちを糾合して1881年に議会に請願を提出。その結果、1884年にイタリア政府は調律用音叉の周波数を432Hzに「正常化」することを命じた政令を発した。しかしながらこの命令は長続きせず、実際には全ての音楽学校、楽器製造者は440Hzのラ音を採用するようになってしまった。
<<以上、要約引用おわり<<
この記事には筆者の署名がなく、学問的に正しい言説なのかどうかは定かでありません。
そもそも、現代でも、ピリオド楽器を用いてバロック音楽などを演奏する場合のピッチは440Hzより「半音」低い415Hzが標準などといわれています。18世紀までは432Hzが主流だった、といわれてもあまりピンときません。しかし、アントニオ・ストラディヴァリ(1644〜1737)はソーヴールと同時代人ですから432Hzを基準に楽器作りをしていた、というのはあり得る話ともいえそうです。
ストラディヴァリの時代のクレモーナの銘器を現代のコンサート・ピッチで酷使していると楽器を傷めてしまうという議論は今までにも耳にしたことがあります。
声帯が楽器である歌手にとっても、徒に高いピッチは好ましくありません。
興味を覚えたので、インターネットの中に現れている記事をいろいろと渉猟してみました。
その結果、いくつかのことがわかってきました。
1980年代に、リンドン・ラルーシュという米国の政治活動家に関係する「シラー研究所(Schiller Institute)」というシンク・タンクおよびこれを支持する音楽団体などが432Hzを「ヴェルディ・ピッチ」あるいは「ヴェルディ・チューニング」と呼んで標準ピッチにする運動を始めたようです。ラルーシュ氏は、米国大統領選挙常連の「泡沫候補」として知られた米国言論界の異端児。
Aを432Hzにしたときに対応するCは256Hzとなり、それをオクターブで並べると、32、64、128、256、512、1024ときれいな2の整数倍になる。人間の肉体の振動も2の倍数で支配されているので、この「自然な」倍数列を持つ周波数を使うことが人間の生理に合っており「科学的」でもあるのだ、というのがこの団体の主張であるようです。ヴェルディが432Hzを推奨したということ、432Hzが科学的に理に適ったピッチであること、ということを主張している記事はネット上で沢山見つかるのですが、その殆どがなんらかの形でシラー研究所と関係のあるもののようでした。
1881年というと、ヴェルディがアッリーゴ・ボーイトの協力を得て《シモン・ボッカネグラ》の改訂版を世に出した年で、伝記作者たちからは晩年の傑作《オテッロ》(1887年初演)を完成させるための長い助走期間の開始時期とされている時期です。この頃の伝記の記述は、ボーイト、リコルディ、ファッチョ、ストレッポーニなど周囲の人間たちが、気難しい老巨匠をなんとかその気にさせようと苦心する話であふれています。しかしながら、ヴェルディが432Hzを法制化する運動の先頭に立ったという記述には、寡聞にして私は今までに出会ったことがありませんでした。
一方で、歌手の生理に精通しているとともに、ワーグナーに代表される北方の音楽潮流に反発心を持っていたヴェルディが標準ピッチを下げようとした、というのはあり得る話のようにも思われます。
ライアー(イタリア語ではリーラ)と呼ばれる古代ギリシア以来の古風な竪琴は432Hzで調弦するのが標準であるという話もあります。
「治癒力を高める」というような話は「科学的」というよりは「神秘的」であるような気もしますが、人間の生理にあったピッチというのがあるのだとしたら、その調律による音楽を聴いてみたいという気もします。

                                       (Simon)
posted by NPO日本ヴェルディ協会 at 14:09| Comment(0) | オペラ考

2015年05月29日

ミラノ・スカラ座とヴェルディ

image.jpg 6月12日(日)に大阪市中央公会堂で当協会主催の講演会「青春のジュゼッペ・ヴェルディ」が開催されます。
講師はミラノ・スカラ座で長年ヴィオラ奏者として活躍した寺倉寛さん。

(詳しくは当協会ホームページTOPICS欄をご覧ください:http://www.verdi.or.jp/


そこで、ミラノ・スカラ座の過去の来日公演を振り返ってみました。(スカラ・フィルの公演は入れていません。)

1981年:《シモン・ボッカネグラ》《オテッロ》《ラ・ボエーム》《セヴィリアの理髪師》
<レクイエム(ヴェルディ)><小荘厳ミサ(ロッシーニ)>
1988年:《ナブッコ》《カプレッティとモンテッキ》《トゥーランドット》《ラ・ボエーム》
1995年:《ラ・トラヴィアータ》《ファルスタッフ》《西部の娘》<眠れる森の美女(バレエ公演)>
2000年:《リゴレット》《運命の力》<レクイエム(ヴェルディ)>
2003年:《マクベス》《オテッロ》
2009年:《アイーダ》《ドン・カルロ》
2013年:《リゴレット》《ファルスタッフ》

こうして並べてみると一目瞭然ですが、ヴェルディ作品が入らない年はないばかりか2000年以降はヴェルディ作品しか上演されていません。いかにスカラ座とヴェルディの縁が深いかがわかります。
もちろん、本国ではいろいろな演目が演じられているわけですが、日本に引っ越し公演をするとなるとイタリアのオペラハウスの代表としてイタリア人の作品、とりわけヴェルディ作品が中心の公演となるということでしょうか。
 筆者は上記のほとんどの公演に行っています(1995年だけは海外にいたので行けませんでした。)が、とりわけ印象深いのはやはり1981年の最初の引っ越し公演です。
アッバードとクライバーの指揮、ストレーレル、ゼッフィレッリ、ポンネルのプロダクション、カップッチッリ、ギャウロフ、ドミンゴ、フレーニ、ヴァレンティーニ=テラーニなどの歌手陣、どれをとっても超一流で度肝を抜かれました。そして何よりも合唱団の声の厚み、オケの音色の輝かしさ、舞台美術や衣装の美しさなど、劇場を支える全ての人々によって支えられている圧倒的な総合力の高さに茫然としたものです。
その目くるめくような陶酔の時間が中断する幕間時間は30分以上あったでしょうか。カーテンの向こう側からは、舞台関係者が何やら大声を出しあいながら舞台転換を行っている騒然たる雰囲気が伝わってきます。本国とはサイズも機構も違う慣れない舞台(NHKホールと東京文化会館でした)に戸惑いながら懸命に奮闘する様子が丸わかり。一方で、オケピットの中ではソロパートや難しいパッセージなどを泥縄式で何度も臆面もなく練習している奏者がいます。このあたりのあけっぴろげな感じが何ともイタリア的と感じたものです。
寺倉さんがスカラ座オーケストラに加入されたのは、この1981年の12月とのこと。スカラ座管弦楽団はトスカニーニの時代からイタリア随一のオーケストラとしての演奏活動も行ってきましたが、寺倉さん入団の直後に、マエストロ・アッバードがスカラ・フィルを立ち上げ、交響楽団としての活動も盛んに行われるようになったようです。
最近のスカラは少し小粒になってしまったようですが、アッバード、ムーティの黄金時代に数々の偉大な歌手たちの名演をオケピットの中から見てこられた寺倉さん。どんな話が聴けるのか、とても楽しみです。
                                       (Simon)
posted by NPO日本ヴェルディ協会 at 17:42| Comment(0) | オペラ考

2015年05月20日

<悪魔め、鬼め>考

日本ヴェルディ協会の会報『VERDIANA』第35号が発刊されました。
目次についてはホームページ内の「ヴェルディ関連資料」「VERDIANA(会報)」をご覧ください。
http://www.verdi.or.jp/references/verdiana31_40.html#verdiana35
今回は、その中の拙文《リゴレットあれこれ》の中から、<悪魔め、鬼め>の章を抜粋してご紹介します。
全文にご興味のある方は是非、VERDIANAをご購読ください。
<<<<以下、引用>>>>
2015年2月19日の東京二期会の《リゴレット》は、強烈な印象を残す公演でした。その印象とは、「バッティストーニの《リゴレット》」だったということ。
アンドレア・バッティストーニの指揮は、その若さ迸るようなダイナミックな指揮ぶりとは裏腹に、紡ぎだされる音楽が緻密で老練といってもいいクールな美しさを持っています。今回は特に、歌手の個人技よりもアンサンブルや合唱、オケとのバランスといったトータル・パフォーマンスとしての演奏を楽しむ公演でした。首席客演指揮者として関係を築いてきた東京フィルとの息もぴったり合っていて、隅々に若きマエストロの意志が浸透していることを感じるとともに、何度もこのオペラを聴いてきた者にとっても新鮮に感じるところが随所にみられたのです。
例えば、第二幕のリゴレットのアリア<Cortigiani, vil razza dannata,…(廷臣たちよ、卑怯者で罰当たりな輩よ…)」の前半部で弦が刻む六連符の凄まじい速さ。こんなに速いテンポは聴いたことがありません。歌手の声を聴かすことが主眼の昔の大歌手の時代の録音ではこのアリアのテンポがゆっくりめであったのは当然としても、ムーティのような歌手の専横を許さない指揮者であってもここまで速く演奏することはないでしょう。
しかしながら、こうして超高速の<Cortigiani,…>を聴いてみると、ユーゴーの原作におけるこのトゥリブレ(リゴレット)が悪態をつく場面が持つ「鋭い毒」の要素を、検閲対策のために歌詞としては生ぬるいものにに緩和せざるを得なかったヴェルディが、音楽の上ではその激しい毒の要素を表現しようとした、ということがよくわかってきます。
なにしろ原作のこの場面でトゥリブレは、フランスの貴族の名家の名前を次々に挙げたあとに「貴様らの母親はみんな召使に淫売していたのだ。そこから生まれた貴様らはみんな卑しい庶子(バタール)だ。」と言い放つのです。このセリフが問題とされて『王は愉しむ』は一日で上演禁止になったのです。
バッティストーニが、おそらくこうした背景まで意識して曲作りをしていたことは、前週にイタリア文化会館で行われた講演会における彼の言からもうかがえます。
それにしてもこのテンポを一糸乱れずに演奏してのけた東フィルのヴィルトゥオージティは素晴らしいものだと言えましょう。今年3月に発表されたCNNのiReportで世界のオーケストラ・ランキングでTOP10入りしたのも全く違和感のない評価であると感じられます。
このアリアでは前半の疾走する「怒り」に対して、後半ではテンポが少し緩やかになり「哀願」と悲痛な「嘆き」が歌われます。つまり、緩から急になる伝統的なカヴァティーナ・カバレッタ形式のアリアとは逆です。この後半におけるテンポの絶妙なルバートにおいても、バリトン上江隼人の歌とコルノ・イングレーゼ(イングリッシュ・ホルン)の絡みあい、そしてそれを支えるチェロの六連符がぴたりと息が合っていて見事なものでした。指揮者の力量を見せつけた場面だったと思います。
さて、この<Cortigiani, vil razza dannata,…>というアリア、日本ではよく<悪魔め、鬼め>という題名が使われます。
ところが辞書を引いてみますと「Cortigiani」とは「廷臣」、「vil(vile)」は「卑怯な」、「razza」は「種族」、「dannata」は「地獄に落ちた、呪われた」といった意味。「悪魔」とか「鬼」という意味の言葉はどこにもないのでした。
はて、と思って原作の方をあたってみると、この部分のトゥリブレのセリフは「Courtisans! courtisans! démons! race damnée! (廷臣たちよ!廷臣たちよ!悪魔め!地獄落ちの連中め!」とあり、ちゃんと「démons(悪魔)」という言葉が登場しています。イタリア語の歌詞にするときに「demonio」では強すぎて検閲が危ないとピアーヴェが考えたのか、あるいは曲作りの都合(音節数)でヴェルディが注文をつけたのかわかりませんが原作の「悪魔(démons)」という言葉は「卑しい(vil)」に置き換えられてしまったわけです。
今でこそわが国でも字幕付き原語上演が普通になりましたが、かつては日本語訳詞による上演が行われていました。全音オペラシリーズの楽譜でこの曲につけられた日本語歌詞(堀内敬三訳詞)をみると、「あーくまめ、おにめ、ごくどうめ」となっています。
対訳とは違って実際に曲に載せて歌われる訳詞には音型に合った日本語を選ばなければならない、という制約があります。「ていしんたちよ」では「Cortigiani」という4音節にまったく合いません。おそらく堀内先生は苦心惨憺、フランス語の原作にまであたって「悪魔」という言葉をみつけ「意訳」されたのではないかと思います。
バッティストーニの超高速テンポに触発されて、あらためてユーゴーの原作のセリフにあたってみた結果、有名なアリアの邦題名がイタリア語歌詞とは違うものになっている理由が、おそらくはこうした「訳詞上演」の時代を経たためであるらしい、ということにあらためて気がついた次第です。
                                            (Simon)
                           
posted by NPO日本ヴェルディ協会 at 00:56| Comment(0) | オペラ考

2015年05月10日

新国立劇場《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》協会デスク設営のお知らせ

こんにちは。初夏らしいさわやかな気候が続いていますね。

新国立劇場では、今日10日より、新制作の《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》が始まります。美しく洗練された舞台で定評のある、フランスの演出家ヴァンサン・ブッサールによるプロダクションです。(個人的な体験で恐縮ですが、ブッサールの《ドン・ジョヴァンニ》を見たことがありますが、とても洗練された粋なプロダクションでした)。

さて、日本ヴェルディ協会では、ヴェルディのオペラの公演があるときに、新国立劇場のホワイエにデスクを出させていただき、協会の活動のご紹介をしています。
今回の《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》でも、すべての公演日にデスクを出させていただけることになっています。
公演の前後や休憩時間には会員が詰めていますので、ぜひお気軽にお立寄りください。
 
公演情報はこちらです。

http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150510_003710.html 

posted by NPO日本ヴェルディ協会 at 08:53| Comment(0) | オペラ考