2017年10月19日

パルマ・フェスティバル・ヴェルディ2017

 ヴェルディの誕生日(10月10日)を記念して、その前後にパルマとブッセートではパルマ・テアトロ・レージョ(王立劇場)が主催するフェスティヴァル・ヴェルディが毎年開催されます。今年の音楽祭の期間は9月28日から10月22日まで。筆者は10月11日から16日までパルマに滞在し、下記3公演を聴きました。
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1.《イェルサレム》(2017年10月12日、テアトロ・レージョ)

 ガストン(ベアルヌの子爵):ラモン・ヴァルガス   
トゥールーズ伯爵(十字軍の司令官):パブロ・ガルヴェス
 ロジェ(トゥールーズ伯の弟):ミケーレ・ペルトゥージ  
エレーヌ(トゥールーズ伯の娘):アニック・マシス
 アデマール・ド・モントゥイユ(教皇特使):デヤン・ヴァチコフ
 レイモン(ガストンの侍臣):パオロ・アントニェッティ
 ラムラの太守:マッシミリアーノ・カッテラーニ
 太守の家臣:マッテオ・ローマ 伝令/兵士:フランチェスコ・サルバドーリ
指揮:ダニエレ・カッレガーリ  演出:ウーゴ・デ・アナ
 照明:ヴァレリオ・アルフィエーリ(プロジェクト・デザイナー:セルジョ・メタッリ)
 振付:レダ・ロジョディーチェ  合唱指揮:マルディーノ・ファッジャーニ
 アルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー交響楽団  パルマ王立劇場合唱団
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 《イェルサレム》はヴェルディが34歳の時にパリのオペラ座のために作ったオペラで、めったに上演されない作品であるため、筆者もナマで聴くのはこれが初めて。ヴェルディがパリに滞在していた短い期間に仕上げる必要があったため、4年前にイタリアで大ヒットした《第一回十字軍のロンバルディアの人々》(以下《イ・ロンバルディ》と略す)を改編して作られました。このため、ヴェルディの正式の作品リストには入れないこともあるのですが、バレー曲をはじめとして新たに作曲した部分も多く、フランス語で歌われるということも相俟って、《イ・ロンバルディ》とかなり印象が違う作品になっています。筋書きも、登場人物を歴史上実際に第一回十字軍の中心人物であったトゥールーズ伯をめぐる人々に置き換え、《イ・ロンバルディ》に比べると無理のないものになっています。
 ガストン(T)、エレーヌ(S)、ロジェ(B)の3人が主役といっていいこのオペラの中で、この日は特にロジェを歌ったミケーレ・ペルトゥージの出来が良く、地元出身ということもあって大喝采を受けていました。ロジェは、姪にあたるエレーヌに横恋慕し、その結婚相手のガストンを無実の罪に陥れる悪辣な男ですが、後に改心して砂漠の隠者として聖人扱いされる、という単なる悪役ではない複雑な性格です。しかも恋敵役でもあるキーロールなので、ヴェルディ作品の通例であればバリトンがあてられ、トゥールーズ伯の方をバスが歌うということになりそうなはずですが、オリジナルの《イ・ロンバルディ》のパガーノもバス役であったことと、パリ初演のロジェを歌ったアドルフ=ルイ=ジョゼフ・アリザールという優れたバス・バリトン歌手がいたためと、思われます。ペルトゥージは、バス歌手としては低音の響きに特に凄みがあるというわけではないのですが、柔らかい発声でフランス語も巧く、しかもヴェルディらしい劇的な要素を陰影深く表現できていたと思います。
 ガストン役のラモン・ヴァルガスも、さすがに日本でもおなじみの一流歌手だけに張りのある声で安定感のある歌唱をみせてくれました。《イ・ロンバルディ》で主役テノールが歌うオロンテは、イスラム教徒側のため第2幕からの登場でしかも死んでしまって亡霊となるというやや傍系の役割ですが、この作品ではヒロインのエレーヌと恋仲のフランス貴族として第1幕から登場し、無実の罪を着せられて放逐されるという立場となります。つまり、オロンテよりもより一貫したオペラの主人公になるわけで、パリ初演でこの役を歌った名テノール、ジルベール・デュプレを引き立てる役作りになっているのです。ヴァルガスの存在感と役作りはそうした立場にふさわしいものになっていました。
 実は、このヴァルガスとペルトゥージのふたりについては、筆者は20年前(1997年11月)にニューヨークのMETでバルトリが《チェネレントラ》(レヴァイン指揮)に主演してセンセーションを巻き起こしたときに、ラミロとアリドーロで共演していたのを聴いたことがあります。(終演後に楽屋でペルトゥージにその話をすると彼もよく憶えていました。)まだ若くてロッシーニを軽やかに歌っていたふたりが、今や堂々たるヴェルディ歌いになっているわけです。あの頃に比べるとヴァルガスは体もずいぶん太めになりました。
 エレーヌのアニック・マシスは、以前に聴いた時に比べると特に前半が苦し気な発声に聞こえたので調子があまりよくなかったのか、美声ではあるのですがフランス語ネイティブのわりに言葉がやや不明瞭でした。それでも精彩を欠くというほどではなく、カーテンコールでも厳しいと言われるパルマの聴衆から暖かい喝采を受けていました。
 カッレガーリの指揮は手堅く、引き締まったもので、暗めの物語ながらフランス風の華やかなところもある音楽をうまく聴かせてくれました。特に、第3幕の太守のハーレムのシーンでは、かなり長いバレーシーンがあるのですが、緩むことなく緊張感を維持していたのはさすがだと思います。
 ウーゴ・デ・アナの演出は、彼のものとしては比較的奇をてらうところもなく、流行りの映像を使うもののそれだけにたよることないのダイナミックなものでした。たとえば、第2幕以降のパレスチナが舞台の場面になると、前方の紗幕に荒涼たる岩山の映像を写すとともに舞台には音をたてて砂が降ってきます。最初はそれも映像かと思ったのですが、登場人物たちの足跡がつくので舞台上が本物の砂で覆われていることがわかりました。中東の苛烈な環境を砂漠のイメージで強調し、十字軍や巡礼たちの置かれた厳しい状況がヴィジュアルにわかる仕組みです。
 舞台前面の紗幕は全幕を通して張られたままで、様々の映像がプロジェクションマッピングで投影されます。舞台が暗い時には映像が中心となり、明るくなると舞台の動きが中心となりますが、その中間の紗幕の映像と舞台の風景をダブらせる場面もあります。
 映像は、前述の岩山など情景を説明する画像のほかに、宇宙を運行する天体とその円の中心にキリストの顔が現れる画像や、ラテン語の文字、とりわけ「DEUS VULT(神はそれを望まれる)」という聖墳墓騎士団のモットーとその紋章(白地に大きな赤い十字架とその四方に小さい赤い十字架が描かれている)が繰り返し登場します。そこからは読み取れるメッセージはおそらく「多くの人々の命を落とし、苦しみを生んだ十字軍という壮大な企ては、本当に神が望まれたものだったのか?」という問いかけではなかったか、と思います。
 なお、パルマ歌劇場は現在、常設の管弦楽団を持たないため、地元のトスカニーニ・フィルを起用することが多いようです。合唱団は持っていますから、東京の新国立劇場と似たような体制です。
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2.《スティッフェーリオ》(2017年10月13日、テアトロ・ファルネーゼ)

 スティッフェーリオ(プロテスタントの牧師):ルチアーノ・ガンチ
 リーナ(その妻):マリア・カツァラーヴァ
 スタンカー(伯爵でリーナの父):フランチェスコ・ランドルフィ
 ラファエーレ(若い貴族、リーナの不倫相手):ジョヴァンニ・サーラ
 ジョルジ(老牧師):エマヌエーレ・コルダーロ
 フェデリーコ(リーナの従弟):ブラゴイ・ナコスキ
 ドロテーア(リーナの従妹):チェチリア・ベルニーニ
 指揮:グイエルモ・ガルシア・カルヴォ  演出:グレアム・ヴィック
 装置・衣装:マウロ・ティンティ  照明:ジュゼッペ・ディ・イオリオ
 振付:ロン・ハウエル       合唱指揮:アンドレア・ファイドゥッティ
 ボローニャ歌劇場管弦楽団・合唱団

 《スティッフェーリオ》の公演は、パルマ歌劇場ではなく、ファルネーゼ家のパルマ公、ラヌッチォ1世(1569-1622)の時代に作られたピロッタ宮殿という建物の中にあるファルネーゼ劇場で行われます。サッビオネータにあるテアトロ・オリンピコを一回り大きくした感じの古代様式の劇場ですが、17世紀の後半以降は劇場としてあまり使われず荒廃していたものをヴェルディの時代のパルマ領主マリア・ルイジア(ナポレオンの皇后だったハプスブルグ家皇女)が修復したものの戦災で再び破壊され、戦後に再現復旧したものです。平土間は舞台に向かって細長長方形で入口側が半円形となっており、周りを木製の階段状の客席が取り囲み、さらにその上は古代ローマ風の柱廊が2層あるため天井はかなり高くなっています。
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 今回のグレアム・ヴィックの演出では、この劇場の構造を大胆に使う刺激的なものでした。まず通常の舞台はプロセニアムの部分に大きな幕がかけられ使用しません。その幕の前上手側にオーケストラボックスが設置され、指揮者は平土間側に顔を見せる形で棒を振ります。さらに指揮者の姿を映すモニターが三方の壁にも設置されているので、場内どの方向を向いていても指揮者の姿を観ることができるようになっています。
 観客は平土間の好きな場所で立ったままオペラを観るかたちとなります。そうした観客たちで埋め尽くされた平土間のあちこちに高さが人間の肩くらいで広さがおよそ3m四方の可動式の台がいくつも浮かぶように置かれ、いくつかを組み合わせたり離れたりして様々の島を形づくります。島によってはベッドや机、十字架が置かれているものもあります。ソリストたちは主にこのさまざまに変化する島状のステージの上で歌い演技します。
観客たちはその島を取り囲んで鑑賞するので、オペラ歌手の足元、かぶりつきで聴くということになったりします。場内は非常に音響がいいので、歌手の後ろ側の位置でも声はよく聞こえます。またある歌手は遠く、ある歌手は近い場所で歌っていたり、合唱も平土間のある片隅にいたり階段席で歌ったりと場所を変えますが、意外に音はまとまって聞こえるのでそれほどバランスが悪くもならないのです。平土間にいると、木製の階段席が2〜3階の高さでちょうとラッパのように天井に向かって開き、さらにその上に大理石の柱廊が2階分垂直に立って木製の天井を支えているので、残響が大きすぎず小さすぎもしない、大きさもほど良いホールならではの演出法と言えそうです。
 観客は歩き回ることができるといっても実際には人込みの中なので、そう自由に動けるわけではありません。多くはその場に立ちつくして音楽に耳を傾けることになります。
 さらに油断がならないのは、入場パスを赤いストラップで首からかけた観客と全く同じ恰好をした役者や合唱団員が多数紛れ込んでいて、突然隣で歌いはじめたり、演技を行ったりするのです。演技も半端なものではなく、取っ組み合いのけんか、ゲイのカップルのキス、服を脱いでパンツ一丁の裸になり両手を広げて十字架のキリストのポーズをとる、といった刺激的なものなのです。
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 音楽をゆっくり鑑賞するのに最適な環境とはいえませんが、スリリングで新鮮な体験であることは確かで、パフォーマンスとしては非常に面白いものでした。上演機会が少ないヴェルディの作品をこのような形で演奏することには賛否両論あることは確かでしょう。例えば今回筆者がパルマでお世話になった声楽教師・コレペティトゥアの田中久子先生は、断固反対だとおっしゃっていました。ヴェルディの初期と中期傑作群の間の過渡期にあるこの作品は、繊細な音楽なのでもっと落ち着いた形できちんと提供すべきだ、とのこと。そのご意見にも一理あります。しかしながら私は、過渡期であるがゆえに素晴らしいところとやや退屈になるところが混在するこの作品を、こうした刺激的な方法で味わうのもひとつの芸術体験として「あり」だと感じました。
 このオペラのお話は、19世紀前半、オーストリア帝国内のスタンカー伯爵の城で城主の娘リーナの夫である牧師スティッフェーリオが布教の旅を終えて帰ってくるところから始まります。彼はこの地方のプロテスタント信者から熱狂的に支持され、尊敬されている人物なのです。ところが、実はリーナは夫の留守中に若い貴族ラファエーレに誘惑されて浮気をしてしまい、大いに反省中。そしてそれに気づいた父親のスタンカーは名誉を汚されたと怒っている、という設定です。有名な人格者の妻が不倫、といういかにも現代にもありそうなスキャンダラスなお話ですから、登場人物が現代の服装をしていることにもあまり違和感がありません。それに、もともとこの台本の原作となったフランスの小説および戯曲も当時の「現代もの」であったということもあります。聖職者が結婚しており、しかも不倫される、劇中で離婚契約が署名される、など当時のイタリアの常識からすると破天荒な内容であり、検閲を気にしなかったのが不思議なくらい(実際、この作品は初演当時からずっと検閲に悩まされることになり、後にヴェルディは改作の《アロルド》を作りこの作品の上演はあきらめる)ですが、それだけに私生活でストレッポーニとの関係に悩んでいたヴェルディを惹きつけたお話でもあったわけです。
 そうした劇的で生々しい人間の悩める姿を描くことが目的であるとすると時と所の設定はどこでもいい、というのがヴィックの考え方なのでしょう。そして、手が届くような場所で歌手が熱演することにより、その生々しさも鋭く伝わってくるのでした。
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 歌手の中では題名役のガンチ(T)とリーナ役のカツァラーヴァ(S)がよく響くスピント系の声で好演でした。特にリーナは、劇的な表現力とアジリタの両方が要求される難役です。そしてこの演出ではかなりの演技力も要求されます。カツァラーヴァは容姿のハンデ(太目で大根足)を忘れさせる見事な歌唱と演技だったと思います。
 スタンカー役もバリトンとしてはテッシトゥーラが高く技巧的な歌唱を要求される難役です。ランドルフィ(Br)は、上述の二人に比べると声量は落ちるのですが、歌唱力と巧さでカヴァーして不足感はありませんでした。
 コンプリマリオ(準主役)のラファエーレとジョルジも充実。前者のサーラは、細身のイケメンテノールで、いかにも女たらしの軽薄な青年をうまく演じていましたし、後者ののコルダーロも、バスらしい深みのある声で主役を支えていたと思います。

3.《ファルスタッフ》(2017年10月15日、テアトロ・レージョ)

 ファルスタッフ:ミハイル・キリア フォード:ジョルジョ・カオドゥーロ
 フェントン:フアン・フランシスコ・ガテル カイウス:グレゴリー・ボンファッティ
 バルドルフォ:アンドレア・ジョヴァンニ ピストーラ:フェデリーコ・ベネッティ
 フォード夫人アリーチェ:アマリリ・ニッツァ ナンネッタ:ダミアーナ:ミッツィ
 クィックリー夫人:ソニア・プリーナ ページ夫人メグ:ユルジータ・アダモニテ
 指揮:リッカルド・フリッツア 演出:ヤーコポ・スピレーイ
 装置:ニコラウス・ヴェーベルン 衣装:シルヴィア・アイモニーノ
 照明:フィアンメッタ・バルディゼーリ 合唱指揮:マルティーノ・ファッジャーニ
 アルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー交響楽団 パルマ王立劇場合唱団
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 この日は、アリーチェ役のニッツァ以外はあまり有名どころの歌手は出ていませんが、歌唱も演技も巧者揃いで、指揮者のリッカルド・フリッツァの見事な統率のもと実に生き生きとしたアンサンブルを楽しむことができました。
 題名役は、他の公演日ではロベルト・ディ・カンディアが歌い、ミハイル・キリアは最終日のこの日のみの登場でしたが、他のキャストとの息もぴたりと合い、まだ若いはずですが堂々たる演奏でした。以前はファルスタッフというのはは功成り名遂げたベテラン・バリトンが最後に取り組む役というイメージが強かったものですが、ターフェルやマエストリ以降は、比較的若いうちからこの役に挑戦することが増えているようです。
 他のキャストの中では、フェントンのガテルとナンネッタのミッツィという若いカップル役のふたりが瑞々しいリリコの声で光っていたと思います。
 ヤーコポ・スピレーイ演出の舞台は、現代の英国への置き換えで、ウィンザーというよりはもう少し下町っぽい架空のロンドン近郊の町というイメージ。ナンネッタはダイアナ妃風の金髪ショートヘアに濃いアイライン、ミニスカートに厚底のブーツでしょっちゅうスマホをいじっている、といういかにもロンドンにいくらでもいそうな現代娘。一方のフェントンもキルト風ながらタータンチェックではなく黒革のスカート姿という現代青年。他の大人たちも現代風衣装ながらそれぞれの役柄をホーム・コメディー調に戯画化したような姿でなかなか楽しめました。
 全体として、指揮も演出も、ヴェルディ最後のオペラにして音楽的にも高度な作品に対する敬意は失わないものの、決して重々しくはなく、軽みと喜劇性を十分に表現するものになっていたと思います。
(Simon)
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2017年10月05日

第17回ヴェルディマラソンコンサート(2017年9月23日)

 日本ヴェルディ協会恒例のマラソンコンサートが、2017年9月23日(土・祝)にイタリア文化会館アニェッリホールで開催され、盛況のうちに終了しました。
 今回のテーマは「フランスの響き グランド・オペラ」と銘打ち、パリ初演から150周年にあたる《ドン・カルロス》のフランス語による初演版を抜粋で演奏しました。
 出演者は、上田純子(ソプラノ)、中山茉莉(メゾ・ソプラノ)、渡邊公威(テノール)、清水勇磨(バリトン)、妻屋秀和(バス)、高橋裕子(ピアノ)の皆さん。当協会理事長の小畑恒夫が解説を行いました。
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 普段聴きなれたイタリア語のミラノ版(4幕)やモデナ版(5幕)とは、音楽そのものが異なる部分もあるほか、同じ音型でも言葉の響きが異なるため、新鮮に聞こえだけでなく、ヴェルディが当初意図した音楽の美しさを改めて認識させてくれるよい演奏であったと思います。
 終演後にフォワイエで開催された懇親会でバスの妻屋秀和さんが語ってくれた話によると、彼は既にフィリップ(イタリア語ではフィリッポ)のアリア<ひとり寂しく眠ろう>を20回以上歌っているそうです(彼には一昨年の第15回マラソンコンサート「為政者たちの運命」でもこのアリアを歌っていただきました)が、フランス語で歌ったのは初めてとのこと。20170923marathon02tsumaya.jpg
 しかしながら、見事な歌唱で、この曲が本来もつ響きを明らかにしてくれたと思います。
 そのほかのソリストの皆さんも、実力を発揮し、聴きごたえのある演奏を披露してくださいました。
 懇親会で聞こえてきた聴衆の方々の感想も、非常に評判のよいものでした。
 また、今回の懇親会では、歌手の方々と個別に交流するだけでなく、マイクをつかって皆さんの前で興味深いお話をいろいろ話していただく機会も作ることができ、楽しんでいただけたと思います。
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2015年08月14日

ヴェルディのテノール

2015年8月11日のアレーナ・ディ・ヴェローナ《アイーダ》で、グレゴリー・クンデが歌うラダメスを聴きました。(指揮:アンドレア・バッティストーニ)
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テノール好きの方々には失礼かもしれませんが、私は常々、ヴェルディはテノールが嫌いだったのではないか、と思ってきました。
なぜなら、オテッロとリッカルド(グスターヴォ)を除くと、ヴェルディのオペラに出てくるテノール役はどれもが思慮が浅く能天気な直情径行型に描かれているからです。色好みのマントヴァ公爵は言うに及ばずマンリーコは恋人が毒をあおってまで自分を助けようとしているのに気がつかずにレオノーラを詰りますし、アルフレードは満座の中でヴィオレッタを辱め、ガブリエーレ・アドルノもアメーリアがシモンの囲い者になったのではないかと勘違いして逆上します。
ラダメスも例外ではありません。第3幕、夜のナイルの岸部で待つアイーダに密会するために彼が現れる場面で使われている音楽の能天気なこと。特にドミンゴが歌うそれはデートの場所にやってきた男が「アイーダちゃん、待ったあ?ごめんね〜。会いたかったよ〜。」という感じで「やに下がった」感にあふれています。いかにもすぐその後で女の色香に迷って軍機を漏らしてしまうダメ軍人らしい、といえばそのとおりで、さすがドミンゴ、ヴェルディ先生のテノールに対する悪意をそのまま感じ取って音楽にしている、と感心した次第です。(そして彼はテノールを辞め、バリトンになりました。)
ところが当夜のクンデのラダメスはどこか違いました。
まずは、伏線があります。第一幕に歌われるラダメスの有名なアリア《清きアイーダ》。
このアリアの時点ではまだどのテノールが歌っても英雄的でかっこいい武人の姿です。この役を歌う歌手はリリコ・スピントといわれる力強い声を持ったテノールがふさわしく、輝かしい声で逞しく朗々と歌い上げる場面です。カルーソーの録音などを聴くと、過剰にポルタメントをいれて甘く歌い崩す思い入れたっぷりの歌い方が主流であった時期もありますが、近年この役を得意にしたカルロ・ベルゴンツィやドミンゴなどは比較的スタイリッシュに、すなわち楽譜通りに歌う傾向にはなってきていました。然しながら、アリアの最後の部分「un trono vicino al sol」の「sol」を最高音で引っ張るところ、楽譜ではディミヌエンド(譜面表記はmorendo)してピアニッシモで終わるように指示されているのですが、大抵の歌手はフォルテのまま、派手に引き延ばして終わります。テノールであっても高いB音を絞るのは非常に難しく、ましてやスピント系の重い声の歌手には至難の技というべきことなのでしょう。(好調な時のフランコ・コレッリは声を絞る終わり方をしていますが、前半はポルタメントしまくりですので、楽譜通りとはいえません。)この最後の音をクンデは輝かしいフォルテで長く伸ばしたあと徐々に声を絞り、最後はファルセットに近いソット・ヴォーチェで締めくくってみせたのです。
一方で、アリアの入りの部分、「celeste Aida」の「Ai-da」などの上昇部分を、ベルゴンツィなどは「歌い崩し」を嫌うあまりに素気なく「楽譜通りに」上げてしまうのですが、クンデは、ベルカント伝統のアッポジャトゥーラを嫌味にならない程度に入れて滑らかに上昇させます。楽譜に書いていないといえばいない音なのですが、ベルカントでは入れることがある意味お約束になっている歌い方です。この時代のヴェルディがどこまでこれを許容したのかはよくわかりませんが、ロッシーニ歌いから出発したクンデとしてはこれが自然なのでしょう。そのほか、高音の張りは十分に輝かしく力強いスピントの声なのですが、締めくくりだけでなく途中の高音部でも広い会場に臆することなくソット・ヴォーチェに絞ってみせるなど、リリコ系の歌い回しの巧さもみせてくれました。
一言でいうと、後期ヴェルディを歌うのにふさわしい逞しい声でありながら、力任せに叫ぶのではなく、繊細なベルカントのテクニックを駆使しながら歌う歌手が出現した、ということでしょうか。
ロッシーニ歌いからヴェルディも歌うようになったテノールといえば、2014年のローマ歌劇場来日公演《シモン・ボッカネグラ》でガブリエーレ・アドルノを歌ったフランチェスコ・メーリもその口です。その公演の感想文に私はこう書きました:「スピント系テノールによって歌われることも多いこの役を、弱声を巧みに織り交ぜるリリカルな歌唱スタイルで実に清潔に優美に歌ってみせ、新しいアドルノ像をみせてくれました。従来の直情径行で単純な青年というイメージを払しょくし、男らしく高潔で元首(ドージェ)の後継者に相応しい人物としてのアドルノを聴いたのは今回が初めてです。」
この夜のクンデにも似たような印象を受けました。メーリよりはさらに逞しい声ですが、それを押し出したりせず、ベルカント唱法を駆使して後期ヴェルディを歌っている点は似ています。そして、その結果なのかどうか、クンデのラダメスも「直情径行で馬鹿なテノール」ではなく、「男らしく高潔な」若い将軍に見えるのです。これはいったいなんなのか?私には、まだ十分な答えが出せていません。しかしながら、ヴェルディの時代の歌手たちは、まず確実にベルカント(オペラ様式のベルカントではなく、唱法としてのベルカント)の技法を身に着けていたことは確かでしょう。したがって、ヴェルディは別にテノールに悪意を持っていたわけではなく、当時の一流のテノールが歌えば英雄的で高潔な主人公が描けるようにちゃんと音楽は書かれていたのかもしれません。
一方で、ヴェルディの後にヴェリズモの時代があり、現代の歌手たちは、ベルカント唱法を身に着けなくても、後期ヴェルディとヴェリズモ以降だけをリパートリーにしても食っていける状況ではあります。このあたりにヒントがありそうです。
なお、2013年のヴェネチア・フェニーチェ座来日公演《オテッロ》でのクンデには、それほど感銘を受けませんでした。オテッロに関していえば、圧倒的に、デル・モナコやドミンゴの方が感動的です。これは、オテッロはもともと「高潔だが直情径行型の英雄」が陥る悲劇であることからきているのかもしれません。
                                       以上 (Simon)

※ この記事は筆者個人の見解であり、日本ヴェルディ協会の公式見解ではありません。
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2015年07月27日

ヴェルディお気に入りの「ラ」

コンサートマスターが立ち上がるとオーボエが「A」の音を出して各楽器奏者が一斉にチューニングに入る。オーケストラの演奏会が始まる前にお馴染の光景です。
このA(イタリアでは「ラ」)音のピッチの国際標準は440ヘルツとされていますが、今や日本や米国のオーケストラでは442Hzが主流、ベルリン・フィルやウィーン・フィルは448Hzともいわれています。輝かしい派手な音を好んだカラヤン以来、ピッチはどんどん高くなる方向であるとか。
これについて先日、イタリアの「CITYMEG」というウェブ・サイトに興味深い記事が掲載されました。(http://citymeg.com/blog/2015/06/29/la-piaceva-verdi/
記事のタイトルは「Il “LA” che piaceva a Verdi(ヴェルディお気に入りの「ラ」)」。これによると、ジュゼッペ・ヴェルディは、「自然なラ音(La naturale)」の使用を法制化するためにイタリア政府と戦った、とのこと。以下にその記事の概要を紹介します:
>>以下、要約して引用>>「自然なラ音」とは、18世紀までの楽派が物理学的にも人体にとって最も自然に感じられるとして採用していた周波数432ヘルツのラ(A)音のこと。この周波数は、ケプラー、レオナルド・ダ・ヴィンチ以来、多数の学者によって数学的に研究された結果、大脳半球の中でも最も均衡の得られる値であり、ストラディヴァリも自作のヴァイオリンの調律を432Hzで行っていた。
このラ音を432Hzに調律した音楽は、人体の生化学的働きの周波数と「同調」して、治癒力を高める結果をもたらすとともに、いわゆる宇宙の周波数として精神物理学的にも様々な恩恵をもたらす。
この432Hzを調律ピッチとすることを推奨した最初の人物は音響物理学の父といわれるフランスの物理学者ジョゼフ・ソーヴール(1653〜1716)。
ところが、ナポレオン戦争終結後に招集されたウィーン会議(1815年)で、ロシア皇帝アレクサンドルT世が「もっと輝かしい音」を所望すると、全欧州の王侯たちがこれに賛同。ちょうどその頃、古典派に対抗して台頭しつつあったロマン派のフランツ・リストやリヒャルト・ワグナーがもっと高いピッチ、すなわち現行標準の440Hzのラ音を支持、瞬く間に普及することになった。
これに対し、ヴェルディは他のイタリアの音楽家たちを糾合して1881年に議会に請願を提出。その結果、1884年にイタリア政府は調律用音叉の周波数を432Hzに「正常化」することを命じた政令を発した。しかしながらこの命令は長続きせず、実際には全ての音楽学校、楽器製造者は440Hzのラ音を採用するようになってしまった。
<<以上、要約引用おわり<<
この記事には筆者の署名がなく、学問的に正しい言説なのかどうかは定かでありません。
そもそも、現代でも、ピリオド楽器を用いてバロック音楽などを演奏する場合のピッチは440Hzより「半音」低い415Hzが標準などといわれています。18世紀までは432Hzが主流だった、といわれてもあまりピンときません。しかし、アントニオ・ストラディヴァリ(1644〜1737)はソーヴールと同時代人ですから432Hzを基準に楽器作りをしていた、というのはあり得る話ともいえそうです。
ストラディヴァリの時代のクレモーナの銘器を現代のコンサート・ピッチで酷使していると楽器を傷めてしまうという議論は今までにも耳にしたことがあります。
声帯が楽器である歌手にとっても、徒に高いピッチは好ましくありません。
興味を覚えたので、インターネットの中に現れている記事をいろいろと渉猟してみました。
その結果、いくつかのことがわかってきました。
1980年代に、リンドン・ラルーシュという米国の政治活動家に関係する「シラー研究所(Schiller Institute)」というシンク・タンクおよびこれを支持する音楽団体などが432Hzを「ヴェルディ・ピッチ」あるいは「ヴェルディ・チューニング」と呼んで標準ピッチにする運動を始めたようです。ラルーシュ氏は、米国大統領選挙常連の「泡沫候補」として知られた米国言論界の異端児。
Aを432Hzにしたときに対応するCは256Hzとなり、それをオクターブで並べると、32、64、128、256、512、1024ときれいな2の整数倍になる。人間の肉体の振動も2の倍数で支配されているので、この「自然な」倍数列を持つ周波数を使うことが人間の生理に合っており「科学的」でもあるのだ、というのがこの団体の主張であるようです。ヴェルディが432Hzを推奨したということ、432Hzが科学的に理に適ったピッチであること、ということを主張している記事はネット上で沢山見つかるのですが、その殆どがなんらかの形でシラー研究所と関係のあるもののようでした。
1881年というと、ヴェルディがアッリーゴ・ボーイトの協力を得て《シモン・ボッカネグラ》の改訂版を世に出した年で、伝記作者たちからは晩年の傑作《オテッロ》(1887年初演)を完成させるための長い助走期間の開始時期とされている時期です。この頃の伝記の記述は、ボーイト、リコルディ、ファッチョ、ストレッポーニなど周囲の人間たちが、気難しい老巨匠をなんとかその気にさせようと苦心する話であふれています。しかしながら、ヴェルディが432Hzを法制化する運動の先頭に立ったという記述には、寡聞にして私は今までに出会ったことがありませんでした。
一方で、歌手の生理に精通しているとともに、ワーグナーに代表される北方の音楽潮流に反発心を持っていたヴェルディが標準ピッチを下げようとした、というのはあり得る話のようにも思われます。
ライアー(イタリア語ではリーラ)と呼ばれる古代ギリシア以来の古風な竪琴は432Hzで調弦するのが標準であるという話もあります。
「治癒力を高める」というような話は「科学的」というよりは「神秘的」であるような気もしますが、人間の生理にあったピッチというのがあるのだとしたら、その調律による音楽を聴いてみたいという気もします。

                                       (Simon)
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2015年05月29日

ミラノ・スカラ座とヴェルディ

image.jpg 6月12日(日)に大阪市中央公会堂で当協会主催の講演会「青春のジュゼッペ・ヴェルディ」が開催されます。
講師はミラノ・スカラ座で長年ヴィオラ奏者として活躍した寺倉寛さん。

(詳しくは当協会ホームページTOPICS欄をご覧ください:http://www.verdi.or.jp/


そこで、ミラノ・スカラ座の過去の来日公演を振り返ってみました。(スカラ・フィルの公演は入れていません。)

1981年:《シモン・ボッカネグラ》《オテッロ》《ラ・ボエーム》《セヴィリアの理髪師》
<レクイエム(ヴェルディ)><小荘厳ミサ(ロッシーニ)>
1988年:《ナブッコ》《カプレッティとモンテッキ》《トゥーランドット》《ラ・ボエーム》
1995年:《ラ・トラヴィアータ》《ファルスタッフ》《西部の娘》<眠れる森の美女(バレエ公演)>
2000年:《リゴレット》《運命の力》<レクイエム(ヴェルディ)>
2003年:《マクベス》《オテッロ》
2009年:《アイーダ》《ドン・カルロ》
2013年:《リゴレット》《ファルスタッフ》

こうして並べてみると一目瞭然ですが、ヴェルディ作品が入らない年はないばかりか2000年以降はヴェルディ作品しか上演されていません。いかにスカラ座とヴェルディの縁が深いかがわかります。
もちろん、本国ではいろいろな演目が演じられているわけですが、日本に引っ越し公演をするとなるとイタリアのオペラハウスの代表としてイタリア人の作品、とりわけヴェルディ作品が中心の公演となるということでしょうか。
 筆者は上記のほとんどの公演に行っています(1995年だけは海外にいたので行けませんでした。)が、とりわけ印象深いのはやはり1981年の最初の引っ越し公演です。
アッバードとクライバーの指揮、ストレーレル、ゼッフィレッリ、ポンネルのプロダクション、カップッチッリ、ギャウロフ、ドミンゴ、フレーニ、ヴァレンティーニ=テラーニなどの歌手陣、どれをとっても超一流で度肝を抜かれました。そして何よりも合唱団の声の厚み、オケの音色の輝かしさ、舞台美術や衣装の美しさなど、劇場を支える全ての人々によって支えられている圧倒的な総合力の高さに茫然としたものです。
その目くるめくような陶酔の時間が中断する幕間時間は30分以上あったでしょうか。カーテンの向こう側からは、舞台関係者が何やら大声を出しあいながら舞台転換を行っている騒然たる雰囲気が伝わってきます。本国とはサイズも機構も違う慣れない舞台(NHKホールと東京文化会館でした)に戸惑いながら懸命に奮闘する様子が丸わかり。一方で、オケピットの中ではソロパートや難しいパッセージなどを泥縄式で何度も臆面もなく練習している奏者がいます。このあたりのあけっぴろげな感じが何ともイタリア的と感じたものです。
寺倉さんがスカラ座オーケストラに加入されたのは、この1981年の12月とのこと。スカラ座管弦楽団はトスカニーニの時代からイタリア随一のオーケストラとしての演奏活動も行ってきましたが、寺倉さん入団の直後に、マエストロ・アッバードがスカラ・フィルを立ち上げ、交響楽団としての活動も盛んに行われるようになったようです。
最近のスカラは少し小粒になってしまったようですが、アッバード、ムーティの黄金時代に数々の偉大な歌手たちの名演をオケピットの中から見てこられた寺倉さん。どんな話が聴けるのか、とても楽しみです。
                                       (Simon)
posted by NPO日本ヴェルディ協会 at 17:42| Comment(0) | オペラ考