2017年04月25日

《イル・コルサーロ》レクチャーコンサートを開催しました

日本ヴェルディ協会の新しい試みとして、ヴェルディ初期のあまり知られていない作品を実演つきで紹介するレクチャーコンサートを4月22日(土)に実施しました。
会場は、2015年11月にもサロンコンサートを行った北区の旧古河庭園内にある大谷美術館。日本近代建築の父といわれるジョサイア・コンドル最晩年の設計になる大正ロマンあふれる洋館で、本年がちょうど竣工100周年にあたります。その響きのよい食堂に満席となる75名の聴衆を集めて行われ、コンサートはたいへん好評のうちに終了しました。全面的なご協力をいただいた公益財団法人大谷美術館の皆様に感謝いたします。
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この日とりあげたのは《イル・コルサーロ(海賊)》。1848年、ヴェルディ35歳の時にトリエステで初演された13番目(改作の《イェルサレム》を除くと12番目)の作品です。
演奏していただいたのは、コッラード役のテノールが澤崎一了さん、メドーラ(ソプラノ)が藤野沙優さん、グルナーラ(ソプラノ)が別府美沙子さん、セイド(バリトン)が原田勇雅さん、ピアノが高島理沙さん。歌手の皆さんは、二期会、藤原歌劇団などに所属する新進の若手実力派。あまり演奏機会のない曲目にチャレンジしていただきましたが、プロのコレペティトゥアである高島さんの協力を得て、声、テクニックともしっかりした安定感のある見事な演奏を聴かせてくれました。
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作品紹介は、当協会常務理事の武田(筆者)が行いました。
従来《イル・コルサーロ》は、「《アルヅィーラ》を除けば、ヴェルディによって書かれた最低のオペラである」というフランシス・トイの言に代表されるように多くの評論家、伝記作者、音楽辞典などから低くみられてきました。これに対して、古くはチャールズ・オズボーン、最近では永竹由幸、高崎保男などの各氏が、この作品に散見される新しい試みや美しいメロディーには無視するには惜しいものがある、とされており、筆者もこの考え方に賛同するので、今回この作品をとりあげたのです。また昨年開催された第16回ヴェルディ・マラソンコンサート「孤独な魂、革命の年」の続編の意味もありました。
その「無視するには惜しい」部分を素晴らしい実演のおかげで十分に味わっていただける会になったと考えております。 (Simon)
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2016年05月27日

第3回若手歌手支援企画コンサートが開催されました

「若手歌手の協演 〜ヴェルディを巡る言葉とドラマ〜」
と題し、2016年5月12日午後7時よりカワイ表参道「パウゼ」で、当協会主催(カワイ音楽協会協賛)による若手支援コンサートが開催されました。(入場者総数114名)
 出演者は、小玉友里花(S)、種谷典子(S)、杉山由紀(Ms)、又吉秀樹(T)、堺祐馬(Br)、野村光洋(Br)、井上紘奈(Pf)、泉翔士(Pf)の若手歌手およびピアニストの皆さんのほか、プロデューサーの井上雅人さんが、司会および賛助出演として参加されました。
 演奏曲目は、
《ドン・パスクアーレ》 より<用意はいいわ>(小玉、堺)
《ラ・ファヴォリータ》 より <私のフェルナンド>(杉山)
《愛の妙薬》より <20スクード!> (又吉、野村)
《カプレーティとモンテッキ》 より <ああ!僕のジュリエッタ>(小玉、杉山) 
《清教徒》より<あなたの優しい声が>(種谷)
《リゴレット》<嵐が来るな> (種谷、井上雅、堺)
《シモン・ボッカネグラ》 より<ああ、地獄だ! アメーリアがここに!>(又吉) 
《仮面舞踏会》より <お前こそ魂を汚す者>(野村)
<皆それぞれに一つの恥辱>(野村、井上雅、堺)
<どんな衣装か知りたいだろう>(小玉)
《ドン・カルロ》より<カルロよ、聞いて下さい... 私は死にます>(堺)
《ラ・トラヴィアータ》より <あの日僕は幸せでした> (種谷、又吉、井上雅)

昨年同様、前半は、ヴェルディ以前のベル・カント・オペラの名曲で構成されました。
 《ドン・パスクワーレ》は、コンメーティア・デッラルテに淵源を持つ典型的なオペラ・ブッファ、《愛の妙薬》も抒情劇の側面も持ちながらもやはり喜劇的内容で、ヴェルディがどちらかというと苦手にしたジャンルですが、歌唱技術という面ではヴェルディ作品を歌う上でも基礎となる大切な要素をもっている作品群です。出演の皆さんは、少なくともベル・カントの発声と歌唱技術においては、優れたものをみせてくれました。
《ラ・ファヴォリータ》は《ランメルモールのルチア》と並んで、人間ドラマを劇的に表現したヴェルディに直接連なる先行作品といえましょう。その中でも<私のフェルナンド>はメッゾ・ソプラノのためのアリアとしては、ヴェルディの《ドン・カルロ》でエーボリ公女が歌う<呪われしわが美貌>と並ぶ人物の心情を深く掘り下げた名曲です。杉山由紀さんはメッゾらしい陰影に富む豊かな声でこの特徴的な美しいメロディをじっきり聴かせてくれました。
第1部後半の2作品は、天才的メロディストであったベッリーニ特有の美しいカンタービレで聴かせる珠玉の名作ですが、オーケストラや合唱を含めた総合的な音楽劇として劇的な表現を追求したヴェルディにとっては、まさに改革の対象とすべき形式的なオペラであったともいえます。美しいメロディを書く能力が高いという点では同じメロディストであったヴェルディとはどこが違うのか。比較対象とする面白い企画ではあったのですが、ピアノの伴奏によるアリアや重唱だけを聴いていたのでは、そこのところはよくわからなかったかもしれません。
後半のヴェルディの部では、《リゴレット》からは幕切れ近くのジルダ、スパラフチーレ、マッダレーナによる三重唱、《仮面舞踏会》からは第3幕第1場のレナート・トム・サムエルによる三重唱、《ラ・トラヴィアータ》からは第1幕前半のヴィオレッタとアルフレードの出会いの場面の二重唱など、アンサンブルの選曲が通常演奏会でとりあげられる箇所とは違う部分であった点に面白さを感じました。このようにあまり有名でない箇所をとりあげても、音楽に全く緩みのない劇的な場面となっていることに、あらためてヴェルディの凄さを認識できるものであったと思います。
一方、ソロのアリアに関しては、若手にとってはチャレンジングな曲目であっただけに、ベル・カント・オペラに比べると声楽技法よりも様式感や表現力が求められるヴェルディを演奏することの難しさをあらためて感じさせた面もありました。しかし、こうした場を提供するのがこの企画の目的ですから、聴衆からは暖かい声援の拍手がおくられました。
そして、最後はアンコールとして若手歌手全員による<乾杯の歌>(《ラ・トラヴィアータ》より)で楽しく締めくくられました。
さらに、これも恒例となった会場全員での<ゆけ、わが想いよ、黄金の翼にのって>(《ナブッコ》より)の大合唱。本来は指揮者である泉翔士さんが「本業」に戻って棒を振ってくださり、一同大満足のうちにお開きになりました。 (Simon)
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2016年04月04日

会員限定企画のサロンコンサートで春爛漫の「ヴェルディの午後」を満喫

2016年4月3日に日本ヴェルディ協会会員T氏(ヴェルディ・ネーム:グァルディアーノ神父)の私邸にて会員限定のミニコンサートが開催されました。
当日は貸切大型バス1台がちょうど満席となる46名が上野駅公園口に集合、郊外のT氏邸まで、隅田川沿いの満開の桜並木や江戸川堤を埋め尽くす菜の花を愛でながらのバスの旅を楽しみました。花曇りの空の下、むしろ前夜のお湿りで木々の緑も生き生きとしていたように思われます。
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出演者は、協会事務局にも事前には知らされておらず全くのサプライズでしたが、ソプラノ安藤赴美子、テノール笛田博昭、バリトン須藤慎吾、ピアノ浅野菜生子という豪華メンバー。
曲目はもちろんオール・ヴェルディ・プログラムで以下の独唱6曲と二重唱3曲が演奏されました。
《オテッロ》より<アヴェ・マリア>(安藤)、《マクベス》より<憐みも、尊敬も、愛も>(須藤)、《イル・トロヴァトーレ》より<ああ、私のいとしい人〜見よ、恐ろしい炎を>(笛田)、《ルイーザ・ミッレル》より<神様、もしあなたをご立腹させたのなら>(安藤)、《仮面舞踏会》より<おまえこそ心を汚すもの>(須藤)、《運命の力》より<天使のようなレオノーラ>(笛田)、《ラ・トラヴィアータ》より<天使のように清らかな>(安藤・須藤)、《運命の力》より<最後の願い>(笛田・須藤)、《オテッロ》より<夜も更けた>(安藤・笛田)
 オーナーのT氏が「独断と偏見」で行ったとおっしゃるこれらの選曲は、人間の感情とドラマを美しくも悲しく、そして時には火を噴くように激しく、様々の確度から表現するまさにヴェルディ・オペラの醍醐味を味わえるものになっていました。これを、2階分吹抜けの高い天井と大理石張の床をもつ響きのよい立派ホールの中で、現役ばりばりの精鋭歌手たちが白熱の歌唱を繰り広げるのを間近で聴くのですから、たいへんな迫力です。
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 最後は、あらかじめ楽譜が配られていた《ナブッコ》のヘブライ人たちの合唱<ゆけ、わが想いよ、黄金の翼に乗って>を参加者全員で合唱。コテコテのヴェルディを堪能し、一同、大満足でした。
その後、隣接する歴史博物館(江戸時代からの大庄屋であったT家の旧居と庭園)の見学、そしてT氏邸に戻りサロンでワインパーティー、出演者も交えた歓談が行われました。
 今後もこのような素晴らしい「会員限定企画」の機会を増やしていきたいものだ、と思いました。 (Simon)
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2016年03月29日

2016年度の日本ヴェルディ協会年次総会が開催されました

特定非営利活動法人日本ヴェルディ協会の年次総会が3月29日に京王プラザホテルで開催されました。開始に先立ち、昨年12月に逝去された志賀櫻常務理事のご冥福を祈って出席者全員で黙とうを捧げました。その後、議事は滞りなく進められ、平成27年度の事業報告および会計書類、平成28年度の事業計画および収支予算が承認されました。
総会終了後は、恒例のミニ・コンサートが行われました。今年は、ソプラノの高品綾野さん、バリトンの湯澤直幹さん、ピアノの水野彰子さんが出演。image.jpg
まず湯澤直幹さんの独唱で、《仮面舞踏会》第3幕より<Eri tu che macchiavi quell’anima(おまえこそ心を汚すもの)>。続いて、高品綾野さんの独唱による《ラ・トラヴィアータ》第1幕の<È strano! Ah, fors’è lui che l’anima 〜 Sempre libera(不思議だわ!そはかの人か〜花から花へ)>、そして最後はふたりによって《ラ・トラヴィアータ》第2幕の二重唱<Madamijella Valery?(ヴァレリー嬢で?)>が演奏されました。ふたりとも若手らしく溌剌とした生きのいい声の持ち主で、狭い会場ではもったいないほどの声の饗宴となり、耳の肥えた聴衆もしばし名曲の響きに酔いしれることができました。 (Simon)


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2016年02月01日

バッティストー二講演会

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2016年1月31日(日)に、イタリア文化会館アニェッリホールで、指揮者のアンドレア・バッティストーニの講演会が開催されました。東京二期会オペラ公演のために来日したこの若きマエストロの講演会を日本ヴェルディ協会主催で行うのは、昨年に引き続き二回目となります。司会:加藤浩子、通訳:井内美香が担当。詳しい内容は別途、協会会報のVERDIANAに掲載させていただきますが、とりあえず筆者が聴いた個人的感想を記したいと思います。
 前半は、ヴェルディのオペラ全般に関するマエストロの見方について。彼自身が指揮したことがある初期のオペラ《ナブッコ》から最後のオペラ《ファルスタッフ》までについての見方が語られました。よどみなく語るマエストロは、若いのに驚くほどよくヴェルディの音楽を研究しているということのみならず、他の作曲家との比較という視点においても、スコアを読むプロフェッショナルとしての高い能力と識見を示していたことに舌を巻きました。例えば、ドイツの作曲家のシンフォニーやフランスオペラの影響など、学者ではなく現場の指揮者としての肌感覚で感じたという感じが印象的でした。さらには最晩年の《オテッロ》や《ファルスタフ》についてのワーグナーの影響はよくいわれていることですが、マエストロによれば、それは直接的なものではなく、アッリーゴ・ボーイトを通してのものだった、というところが説得的です。
 しかしながら、ここまでの話は、ヴェルディファンであればお馴染みという点も多かったといえましょう。バッティストーニのユニークで興味深い見解は、そのあと、今回二期会公演で指揮する《イル・トロヴァトーレ》に関する話の中で全開となりました。
 特に私が印象的だったのは、《イル・トロヴァトーレ》の台本作者、カンマラーノについてのバッティストーニの見方です。このオペラは、「音楽は素晴らしいが、台本は荒唐無稽でひどい」イタリア・オペラの典型として語られることが多いことに、筆者はもともと違和感をもっていました。たしかに、《イル・トロヴァトーレ》の劇としての主な事件の展開、たとえばルーナ伯爵家とアズチェーナの母にあたるジプシー女の因縁や、レオノーラがマンリーコと出会う馬上槍試合、マンリーコとルーナ伯爵の軍勢の間の戦いなどは、舞台上ではなく、幕の上がる前や幕間に行われ、登場人物たちの歌の中で語られるにすぎません。しかし、だからといってそれが劇の展開を追ううえでそんなに「わかりにくい」といえるのか。適切な演出とディクションがしっかりした歌手による公演であれば、そんなに理解しがたいお話だとは筆者はもともと思っていませんでした。
 今回バッティストーニが語ったことは、そんな筆者にとっては、実に腑に落ちることでした。この時期のヴェルディは、前作《リゴレット》にもみられるとおり、「bizzarro」という言葉で表現される「風変り」で「異常な」世界に惹かれており、アズチェーナによって代表されるそうした異類的な人格の性格を深く掘り下げることに情熱を傾けていました。スペインのロマン主義的作家グティエレスの原作は、まさにそうしたヴェルディの志向に合うものでしたが、一方で《リゴレット》において「前に行き過ぎてしまった」ため、伝統的オペラに慣れた当時の聴衆に受け入れられるのに時間がかかったということを痛感していたヴェルディが選んだのが、当時すでにベルカントオペラの台本で名声を確立していた巨匠カンマラーノでした。そして期待にたがわずカンマラーノは、その持てる職人芸を駆使して、ロマン主義的で、異常で風変り、エキゾチズムに満ちた世界を描いた原作を、当時の聴衆に受け入れやすいベル・カントの形式の中に当てはめてみせました。このため、ヴェルディの革新性は表には出ず、初演当時から大当たりをとり、そのまま世界中で愛され続ける稀有の作品となった、というわけです。
. また、《イル・トロヴァトーレ》にはフランスオペラの影響がみられる、という指摘がありました。これは、従来あまり言われることがなかったことなので、司会の加藤さんから質問されたところ、「例えば、第2幕のアズチェーナ登場のアリア〈炎は燃えて〉は、フランスのBalladeのスタイルで書かれているし、合唱の扱い方もフランス的」ということでした。
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さらには、講演の後に行われた質疑応答の中でのバッティストーニの受け答えがまた素晴らしいものでした。
 「今までに録音された《イル・トロヴァトーレ》のディスクの中で、マエストロが一番良いと思うものはどれか?」という質問に対する答えが、このオペラの本質をよく語っていました。
いわく:「強いていえば、トマス・シッパース指揮のものが好きであるといえるが、この難しいオペラについての理想的な演奏はまだない、といえる。《イル・トロヴァトーレ》の解釈については、ふたつの方向があると思う。
ひとつは、カラヤンなどに代表されるドイツ的ないき方で、ヴェルディ後期の作品からこのオペラをとらえようとする方向だ。この解釈においては、往々にしてオーケストラの響きが重くなりすぎ、作品の流れを止めてしまう。
もうひとつの方向は、前期のヴェルディ作品からみる方向で、ベル・カント的スタイルを重視する。それによってこの作品の美しく、エレガントな面は表現されるが、ヴェルディの目指した「bizzarro」で劇的な面については軽視されがちになる。ことほどさようにこれは難しい作品で、現在の私もこの問題を十分に解決できるとはおもっていない。」
 もうひとつの質問は、「アズチェーナの性格をどうとらえたらいいのか?自分の母親の復讐に燃える妄執にとらわれた魔女的な女なのか?それとも母親としての愛情に満ちた女なのか?」というものでしたが、それに対するマエストロの答えはこうでした:
 「この作品の描く異常で風変りな世界を、現代的な感覚で合理的に解釈するべきではない。最後の幕切れにおいて、当初のカンマラーノ台本ではアズチェーナの心情を切々と語る場面が用意されていたが、ヴェルディはそれを拒絶し、唐突ともいえるあっけない幕切れでオペラを終わらせてしまうことにした。作品の流れがもつテンションを保ったままで終わり、後のことは観客ひとりひとりが自由に受け取ればよい、という態度で、それによってより印象的でインパクトの強い幕切れにすることができたのだ。」
                                以上 (Simon)
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