2017年06月01日

バッティストーニ講演会(2017年5月27日)

 当協会とイタリア文化会館主催により、指揮者アンドレア・バッティストーニ氏の講演会が、イタリア文化会館アニェッリ・ホールで、2017年5月27日に開催されました。
 バッティストーニさん(以下、バッティと呼びます)の講演会については、東京二期会公演《リゴレット》(2015年2月)および《イル・トロヴァトーレ》(2016年1月)の前にも開催し、今回が三度目になります。今回は、本年9月にBunkamuraで予定されている東京フィルハーモニー管弦楽団の演奏会形式《オテッロ》公演に関連する話題を中心にお話しいただきました。(司会は加藤浩子さん、通訳は井内美香さん)
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 詳しい内容は、Bunkamuraホームページに掲載される予定ですので、ここでは、筆者にとって印象に残ったことをご紹介します。

 《オテッロ》についての話は、アッリーゴ・ボーイトの重要性を強調するところから始まりました。彼がヴェルディの台本作者であったことと、オペラ《メフィストーフェレ》の作曲家でもあったことは、日本でもよく知られていますが、バッティによると、19世紀末のイタリアを代表する詩人でもあるそうです。ボーイトの詩は、リズム、韻、抑揚などがとても音楽的とのことでした。
 そのボーイトがスカラ座でふたつの失敗をしているという話も面白いものでした。
ひとつは、彼の台本にフランコ・ファッチョが作曲した《ハムレット》。シェイクスピアの原作の要所をしっかり捉えたボーイトの台本はとても優れたものでしたが、いかんせん、ファッチョの曲が悪すぎ「凡庸なだけではなく新しくもなかった」「ヴェルディ初期のいわゆるガレー船時代の作品からの拝借と、《ローエングリン》の下手くそなコピーでしかなかった」というもの。これに懲りたファッチョは二度と作曲しようとしなかったとか。(ファッチョは指揮者としては大成し《アイーダ》イタリア初演、《オテッロ》初演などを行っています。)
 もうひとつの失敗は、ボーイト自身が作曲した《メフィストーフェレ》の初演。この初演版の楽譜は現在残っていないのだそうですが、役者だけで演じられる幕や器楽のみのシンフォニーが挿入されるなど革命的な内容であったため、賛否両論が過熱して劇場内で乱闘沙汰が起き警察が介入する騒ぎになったとのこと。その後大改訂を経た第二版は成功し、現在まで生き残る作品となっているわけですが、ヴェルディもこの作品の価値を認め、音楽的に影響を受けているとのことでした。
 ジューリオ・リコルディのおぜん立てにより、《オテッロ》に入る前のヴェルディとボーイトの共同作業の試運転として《シモン・ボッカネグラ》の改訂が行われました。この改訂版でもっとも感動的な場面が、ボーイトによって全面改訂された第1幕第2場「会議の場」です。この場でシモンの命令によりパオロが自分で自分を呪うところがバッティは一番好きなのだそうです。(筆者注:この改訂版《シモン・ボッカネグラ》については、「会議の場」でペトラルカの手紙を登場させるなどの原アイデアはヴェルディが発案し、ボーイトがそれをドラマに仕立て上げていくという過程がよくわかるふたりの間の書簡のやりとりについてが、6月末発刊予定の当協会会報VERDIANA39号に掲載される小畑恒夫「ヴェルディの手紙を読む(27)」で紹介されます。ぜひご覧になってください。)
 さて、その《オテッロ》について、ボーイトは個性的な解釈をしている、とバッティは言います。一例として挙げられたのはヤーゴの造型。シェイクスピアのヤーゴは曖昧な性格を持っていますが、イタリアの聴衆はそうした曖昧を好まないことを(失敗を経験したことで)熟知したボーイトは、完璧にネガティブで悪魔的な存在として創り直した、というのです。そしてそうした人物像を音楽として描き切ったのはヴェルディの才能である、と。典型的な例が第2幕冒頭の<悪のクレード>。原作にはないこの場面、歌詞の内容だけ追うと「俺は悪いやつなのだ」と言ってるだけのようにも見える。それを完璧にネガティブな存在として説得力をもって描き切ったのは音楽の力なのでした。
 このバッティの指摘は、非常に興味深いことです。シェイクスピアの原作におけるイアーゴーは、戦功ある自分を差し置いてキャシオーに副官の座を与えてしまったということのほかに、オセローが自分の妻(エミーリア)を寝取ったと思い込んでいます。その意味では原作のイアーゴーの方がオセローに対して悪意を抱くわかりやすい動機をもっている、といえるのです。それなのにバッティはあえて原作の方が「曖昧な性格」だとしました。それはなぜか? オペラのヤーゴは「妻を寝取られたことへの復讐」というような低次元の動機は口にしません。その代わりに<悪のクレード>を歌うのです。これにより、ヤーゴが持つ「悪意」はより純化され、根源的な人間の業(ごう)であるとか、神あるいは善なるものへの挑戦、という先鋭化された概念として提示されることになります。それが「完璧にネガティブな存在」としてのヤーゴ、というバッティの言葉の意味することではなかったか、と筆者は思うのです。
 さすがに文学にも造詣が深いバッティです。同じようにデズデーモナについても、オペラの方が「イノセントな存在」としての単純化、純化が行われていると思います。それについても聴いてみたかったところですが、残念ながら時間がありませんでした。
 こうして、原作との対比まで考察しながらテキストを深く読み込んでいるマエストロが、演奏面ではどんな解釈を見せてくれるのか。ハイテクを駆使した演出も考えられているとの話もありました。9月のオーチャードホールでの演奏会がとても楽しみです。     (Simon)
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写真提供:Bunkamura コピーライトマーク上野隆文
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2016年07月17日

第2回「青春のジュゼッペ・ヴェルディ」講演会(@大阪)

 昨年に引き続き、オペラの殿堂スカラ座に初に日本人奏者として乗り込んだヴィオラ演奏家寺倉寛さんに、落語作家小佐田定雄さんが突っ込む、オペラ対談の続編が、2016年7月15日に大阪市中央公会堂で行われました。image.jpeg
 今年は、寺倉さんがヴィオラ・ダモーレを実演されたほか、上方落語界きってのクラシック音楽通として知られる桂米團治さんにも特別出演いただき、さらにパワーアップ。会場も、昨年の小集会室から中集会室になりました。
国指定重要文化財にもなっている中央公会堂は、「北浜の風雲児」といわれた岩本栄之助の寄付により大正7年に竣工した赤レンガと白い列柱・フレームのコントラストが美しいネオルネッサンス様式の建物です。その3階の中央部を占める、中集会室はボールルームダンスの会場にも使われることのある瀟洒なホールで、高い天井にシャンデリアが下がる中央フロアを列柱で区切られた側廊が取り囲む、まさに気分はヨーロッパという空間です。
司会役の小佐田さんの紹介により、寺倉寛さんがヴィオラ・ダモーレを携えて登場。アントニオ・ロレンツィーティ(1740〜1789)作曲によるヴィオラ・ダモーレのためのソナタニ長調「狩り」が演奏されました。後で寺倉先生に楽譜を見せていただきましたが、ハ音記号とト音記号が交じり合い、ほとんどが重音、フラジオレット(ハーモニクス)も多用する複雑な譜面でした。日本でのヴィオラダモーレ演奏の草分け藤原義章先生からコピーさせていただいた楽譜なのだそうです。
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演奏の後で、小佐田さんとの対談に入り、まずはヴィオラ・ダモーレという楽器が話題になります。この楽器は、共鳴箱がなで肩のヴィオラ・ダ・ガンバと同じ系統の弦楽器で、演奏弦7弦と同じ数の共鳴弦をもつため、独特のふくよかな響きを持っています。隣り合った弦がヴァイオリン属のように完全5度の配列ではなく、ニ長調の長和音の配列になっているため、特定の調性の和音を弾くのには便利で、もっぱら貴族の宮廷で独奏楽器として好まれたとのこと。しかしながら全ての調性に対応することはできないので、プロのオーケストラには向かず、だんだんに使われなくなりました。現在でもよく演奏される曲でこの楽器が使われる例としては、プロコフィエフのバレエ《ロミオとジュリエット》とプッチーニのオペラ《蝶々夫人》。特に前者は完全に独奏で弾くシーンがあります。寺倉さんは、テレマン・アンサンブルでこの楽器の経験があったので、スカラ座でもよくこれを担当されたのだそうです。
「ダモーレ(d’amore)」という名前の由来については諸説あるそうですが、ヴィオール属の中でも愛すべき音色を持つ、といった意味ではないか。一方、プロコフィエフやプッチーニなどの後世の作曲家が既に使われなくなっていたこの楽器を「愛の場面」に起用したのは、この名前が影響しているとも言える。いわば作曲家の「遊び」なのでしょうね、とのこと。同じ構造(7本の共鳴弦)を持ったもう少し大きい「バリトン」というチェロ型の弦楽器があって、ハイドンが仕えたお殿様(エステルハージ侯爵)が好んだそうです。image.jpeg
その後、話はスカラ座オーケストラの入団試験のことになります。新しい団員のオーディション審査員はそのパートの楽団員がつとめるのが普通ですが、寺倉さんはもっぱらヴァイオリンの試験に参加していたとのこと。ヴァイオリンの場合、欠員ができて公募すると、約500名の応募があり、一次試験に実際に参加するのは200名くらい。一次試験はモーツァルトのコンチェルト(何番でもよい)から第1楽章と第2楽章を弾くというもの。モーツァルトの楽曲は、美しい音を出すという「基礎テクニック」と「音楽的趣味」を判定するのに最適であるとのこと。受験者は衝立の向こう側で演奏し、声も出してはいけない。審査員は、姿はおろか女性か男性かもわからない状態で音だけを聞いて判定する。それでも異議が出たことがあるらしくて、今では弁護士が立会いのもとで審査が行われている。
二次選考では、ロマン派の大曲をひとつ(チャイコフスキー、メンデルスゾーン、ブラームスのコンチェルトのいずれかを選ぶ人が多い)と、楽団のレパートリーをまとめた分厚い冊子の中からその場で指定された1曲を演奏するというもの。
合格させたいという奏者についての意見は大体一致するものだが、チェロで面白いエピソードがあった。若手の天才的チェリストで、チェロのソロがあるオペラの上演に際してよく参加していたムーティもお気に入りの奏者がいた。チェロの団員に欠員ができて当然彼も試験に参加した。ところが、一次試験合格者のリストに彼の名前がなかった。目隠し試験で団員が落としてしまっていたのである。それからしばらくムーティの機嫌が悪かった、とのこと。
ここで中入り。後半でまず登場したのは、桂米團治師匠。会場に特設された高座にあがります。
噺は上方人情噺の傑作「たちぎれ線香」。船場の商家の若旦那が、ミナミの置屋の娘で芸者の小糸に入れあげ、店の金にまで手をつける、というので問題になり、親族会議が開かれて蔵の中に100日押し込められてしまう。小糸からは毎日手紙が来るが番頭が握りつぶして若旦那には見せない。蔵住まい80日目についに手紙は来なくなる。100日経って蔵から出て改心したという若旦那に番頭が小糸からの最後の手紙を見せる。それには「今生のお別れ」と書いてある。若旦那は、天神さんにお礼参りに行くといって店を飛び出し、ミナミの置屋に駆けつけるが、女将から小糸の位牌をみせられる。若旦那が仏壇にむかって拝んでいると、お仏壇に供えた楽器が鳴り出す。本来の噺では、ここで鳴り出すのは三味線で曲も若旦那が好きな地唄の<雪>なのですが、この日は、若旦那が小糸に贈った胡弓が鳴り出すというお話に変えて、衝立の陰で寺倉寛さんがヴィオラ・ダモーレを演奏。曲もヴェルディの《ラ・トラヴィアータ》前奏曲という趣向になりました。
 男の家の事情で引き裂かれた恋のためにヒロインが死んでしまうという点で、《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》と似たお話であることはたしかです。落語の場合は、下座で三味線のほかに女声の唄もはいるのが一般的ですが、主声部のほかに伴奏部まで奏でてしまうヴィオラ・ダモーレの多彩な音色が、実にその場に合っていて感動的でした。しかも、悲劇の前奏曲でありながら長調を採用したヴェルディの天才的なひらめきが感じられるこの抒情性豊かな曲の趣が、最後は思わぬ下げで締めくくる落語の「調性」ともうまく合っていたような気がします。
 落語のあとは、寺倉さん、小佐田さんに、米團治さんも加わっての鼎談。クラシック好きの米團治師匠は、もともとプッチーニファンだったとのことですが、最近になってヴェルディの「深さ」がわかるようになってきた、とのことでした。特に《ラ・トラヴィアータ》については、作曲当時を背景としたヴェルディ唯一の「現代もの」であるだけに、人間の生の感情に直接迫る作品になっているのではないか、といったお話が印象的でした。
 本年は大阪・ミラノ姉妹都市提携35周年にあたり、大阪市ならびにイタリア文化会館大阪からもご後援をいただきました。関係各位に感謝いたします。そして、当協会主催とはいっても、実質は地元の会員高岡将之さん率いる実行委員会がすべての運営をとりしきりました。青春のジュゼッペ・ヴェルディ実行委員会の皆様、お疲れ様でした。
                                     (Simon)
               
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2015年12月07日

講演会「ヴェルディをドイツ語で聴くと〜オペラと各国語の話」

2015年12月4日・東京文化会館中会議室

 今回は駐スイス、駐イタリア特命全権大使などを歴任され、現在、大阪経済大学で客員教授を務めておられる中村雄二氏をお招きし、「ヴェルディをドイツ語で聴くと〜オペラと各国語の話」をテーマに講演をしていただいた。
 つい30年ほど前まで、ドイツ語圏ではオペラはドイツ語の翻訳上演が主流であった。イタリア語が、語尾が母音で(子音があっても軽く「r」を巻く程度で)終わるため、アクートも伸びやかに歌えるのに対し、ドイツ語は、母音にはウムラウトが存在し、子音の量が多く、かつ語尾を強い子音で終える必要があるため、どうしても歌唱上制約がかかる。そのため同じ曲であっても聴く側に与える印象が大きく違う。それらを《リゴレット》の「女心の歌」、《イル・トロヴァトーレ》のレチタティーヴォなどをイタリア語とドイツ語の歌詞を対比させつつ、CD音源で聴かせ、出席者にその違いを実感させた。
 また、なぜ世界の潮流が「ドラマ重視」の翻訳上演から「音楽重視」の原語上演に推移していったのか。それについて時代背景や各種条件、翻訳上演の利点と問題点、その果たしてきた役割などについての実例を挙げつつ、わかりやすくご説明いただいた。
 親しみやすさと音楽性とのせめぎ合いが常に存在する、外国語圏におけるオペラの存在意義と今後の方向性を考えさせられる大変有意義な講演会であった。
(Kohno)



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2015年09月16日

小畑恒夫氏講演会《マクベス》の魅力と楽しみ方(9月13日、東京文化会館中会議室)

 ヴェルディの初期(1847年初演)に属するオペラながら、革新的な作品と評価が高い《マクベス》。大きな理由は、ヴェルディが敬愛するシェイクスピアの作品を、初めてオペラ化したところにあるといえるでしょう。初演から18年を経て大幅に改訂されたことも、この作品をいっそう複雑で、魅力的なものにしています。
 去る9月13日、日本におけるヴェルディ研究の第一人者で、ヴェルディに関する著書も多い小畑恒夫氏をお迎えし、《マクベス》の魅力を語る講演会が開催されました。
 「ヴェルディ・オペラの初期でありながら突出した作品」だと《マクベス》を評する小畑氏は、「《マクベス》は改訂されて高く評価されるようになったと言われることがあるが、最初から傑作だった」「初演版から、新しいことをすべて取り込む意欲があった」という点を強調しておられたように思います。よく言われるように、《マクベス》は「美しい声で歌う」ことを否定したオペラですが、「新しさ」の象徴として、そのことももちろん触れられました。
 講演会では、物語、音楽の構成、音楽解説を一覧にまとめた表が配布されましたが、そこでも明確になったように、《マクベス》は「景(Scena)」が多いオペラです。それは「シェイクスピアの原作がそうだから」。「景」が多いということは、イコール「演劇的」。《マクベス》は、声の美よりドラマを優先させた演劇的な作品ですが、そうなることは、シェイクスピアを下敷きにした時点でわかっていたことでした。
 《マクベス》を作曲するにあたり、ヴェルディは自分でまず散文の台本を書き、それを台本作者のフランチェスコ・マリア・ピアーヴェに回して韻文にしてもらいました。ピアーヴェはヴェルディに忠実な台本作者として知られており、その意味で適役だったようです。このあたりに、「ヴェルディのオペラに対する考え方が現れている」と小畑氏は指摘します。ヴェルディは、第4作の《エルナーニ》くらいから、「原作に忠実であること、そうすれば間違いがない」ということを主張していました。オペラの材料にこだわったのは、その哲学のあらわれでしょう。
 《マクベス》はフィレンツェのペルゴラ劇場で初演されましたが、それはこの劇場が《魔弾の射手》など、幻想的なロマン派オペラを上演していたこともあったなど、初演に関する興味深い話も披露されました。
 音楽面については、第1幕のダンカン王の行進で聞こえる行進曲の「田舎っぽさ」が、妙な浮遊感を演出している、つまり意識して作られていること、第2幕フィナーレのバンコの幻影出現の場面での、定型を逸脱した劇的な音楽など、ヴェルディの斬新な工夫がいくつかあげられました。
 なかでも興味深かったのは、改訂によって大きく変えられ、マクベスのアリアから〈賛歌inno 〉 に書き換えられた全曲の幕切れについてです。小畑氏は、この結末の改訂によって、本作品が「小さな個人の物語にとどまらず、人間の運命、人類としての大きな物語の終わりを見せるものになった」と主張されていました。
 改訂によって「人間の運命を終わらせる壮大な物語」になったという《マクベス》。そこには、作曲家ヴェルディの進歩も反映されているのかもしれません。
 なお当日は、以下の2点の映像が使用されました。
リセウ大劇場ライブ、カルロス・アルヴァレス(マクベス)、マリア・グレギーナ(マクベス夫人)、ブルーノ・カンパネッラ指揮、フィリダ・ロイド演出
チューリヒ歌劇場ライブ、トーマス・ハンプソン(マクベス)、パオレッタ・マッローク(マクベス夫人)、フランツ・ウェルザー=メスト指揮、デヴィッド・パウントニー演出


(Amneris)


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2015年06月25日

『ヴェルディの全オペラ解説』完結記念懇話会(6月24日)

image.jpg標記の会が、著者の崎保男先生をお招きして東京文化会館大会議室で行われました。以下に、当日のお話の概要を記します。(文責は当方にあり、聴き間違いなどあるかもしれませんがご容赦ください。以下、「私」とは崎先生のことです。)

 ヴェルディの没後50年にあたる1951年は私が大学に入って音楽史の勉強を始めたころで、LPレコードが出始めた時期でもありました。当時日本ではまだ製造されておらず、全てが輸入盤でした。私が最初に購入したオペラ全曲盤はタリアヴィーニが主演した《夢遊病の女》(1953年録音)で、そのCETRAの解説書の後ろにヴェルディ初期作品のリストが出ていたことに強い印象を受けました。戦前からの日本の常識では、《リゴレット》以前のヴェルディ初期作品は先行するベルカント・オペラ諸作品の単なる模倣であって顧みるに値したいとされていたからです。
 CETRA(フォニット・チェトラ・レコード:筆者注)は、イタリア国営放送(RAI)の子会社で、当時、《オベルト》《一日だけの王様》《イ・ロンバルディ》などのヴェルディ初期全作品の全曲盤制作を目指していました。全部は完成しなかったのですが、10曲くらいはリリースされたはずです。
 当時はイタリアでさえそんな状況で、《リゴレット》以前のヴェルディ作品は殆ど上演されていなかったのです。たとえばナマ演奏の《オベルト》は1977年ボローニャでの復活上演が戦後初であったとのこと。70年代というのはちょうどロッシーニ・ルネサンスが始まる時期とも一致します。
その頃、ガルデッリ指揮によるフィリップスのヴェルディ初期シリーズも始まりました。デッカの名プロデューサー、ジョン・カルショーのもとで修業したエリック・スミスがプロデュースしたもので、ベルコンツィ、カップッチッリ、カバリエ、リッチャレッリなど歌手の起用も超一流でしたが、特に画期的だったのは全曲「ノー・カット」演奏であったことです。
イタリア・オペラの世界では「伝統的なカット」が常識とされてきました。例えば、ムーティの著書によると、彼がフィレンツェの五月音楽祭で《イ・マスナディエリ(群盗)》の指揮をしようとしたとき、劇場のライブラリにあった総譜は「伝統的カット」部分のページがホッチキス止めされていたとのこと。あの大指揮者トゥリオ・セラフィンでさえこの「伝統」には忠実でした。また、1988年のマチェラータ音楽祭で《ラ・トラヴィアータ》が演奏された時のこと。インテンダントのジャンカルロ・デル・モナコはノー・カット演奏を求めたのですが、ジェルモン役のカップッチッリは、第2幕第1場幕切れのアリア<プロヴァンスの海と陸>の後半部分のカバレッタについて、当時はカットされることが常識だったため「歌ったことがない」といって拒絶し帰ってしまった、ということもあったのです。
ノーカット版録音の試みは、実は1950年代にデッカのジョン・カルショーのもとで始まっており、デル・モナコ、テバルディが主演したモノラル盤《イル・トロヴァトーレ》が最初でした。
とにかく、この『ヴェルディの全オペラ解説』は、序文でも申し上げたように、主に1970年代、80年代のレコー ド全曲盤ライナーノーツに書いた解説をもとにして作ったこのですが、このフィリップスのヴェルディ初期シリーズの仕事が回ってきた、ということが大きかったわけです。
それでも私が、今まで一度も解説を書いたことがないヴェルディのオペラが5つありました。それらは、《ジョヴァンナ・ダルコ》《ルイザ・ミッレル》《イェルサレム》《アロルド》そして、これはたまたま機会がなかったということになるのですが《オテッロ》。
50年前にはヴェルディの作曲当時のことについては未知の部分がたくさんありました。その後、リコルディ社とシカゴ大学の協力により、クリティカル・エディションが順次発行されるようになり、たとえば、《マクベス》の改訂前のオリジナルの姿はどんな音楽だったのか、が辿れるようになりました。
それでも、まだクリティカル・エディションが出ているのは28曲のうちの半分以下です。
なかでも《イェルサレム》は、そもそも楽譜が出版されていないので苦労しました。日本ではもちろん入手できません。調べてみたらパリの国立文書館に自筆譜が保存されているとのこと。出かけて行って閲覧するのも大変なので、一部でもコピーを入手できないか、と働きかけたところ、幸い全曲をコピーして送ってくれたので、やっと解説を書くめどが立ちました。
 この《イェルサレム》は《イ・ロンバルディ》の改作で、ヴェルディが初めてフランス語のオペラに取り組んだものですが、劇そのものは《イ・ロンバルディ》よりむしろドラマティックになっています。ところが音楽の方は無理にフランス語にあてはめているようなところがある。ベテラン歌手のアルベルト・クピドなどは「ヴェルディの作品の中で一番つまらない」と言っています。イタリア・オペラ的な様式感や語法とは合っていないので、イタリア人歌手からみるとそういう評価になるのかもしれないのでしょう。
 とにかく、ヴェルディのオペラの魅力は、言葉ではなかなか語りつくせません。全てのヴェルディ・オペラの上演をナマで観ておきたいのですが、いまだに《アルヅィーラ》と《アロルド》だけは観ていません。これらはそもそも上演の機会がなかなかないからです。

 話題を変えて、最近のヴェルディ演奏について。
 若手の指揮者には素晴らしい人材が出てきていると思います。なかでも「断然おもしろい」と思うのは、アンドレア・バッティストーニ。その演奏を聴いたのは、二度の来日公演《ナブッコ》《リゴレット》、ヴェローナ《ラ・トラヴィアータ》、トリノ《マクベス》など全てヴェルディのオペラでしたが、指揮する姿からしてヴェルディの面白さを体現している。こんな風に感じられるのは、カルロス・クライバー、リッカルド・ムーティ以来のこと。オケが未成熟なトリノでは、まだ情熱一辺倒では空回りする面もありますが、さらなる成長が期待できると思います。
 同年代のダニエレ・ルスティオーニも《イ・マスナディエリ(群盗)》が良かった。「イタリア若手指揮者三羽烏」のもうひとり、ボローニャのミケーレ・マリオッティも優れた指揮者だと思いますが、まだヴェルディの演奏は聴いていないので、評価は差し控えておきましょう。
 歌手の有望株最右翼は、マリア・アグレスタ。マチェラータで聴いた《アッティラ》のオダベッラは、ドランマーティコ・ダジリタの役を完璧に歌いこなしていたと思います。今年、トリノで《ノルマ》を歌うのでぜひ聴きに行きたいと考えています。
 昨年(2014年)のザツルブルグ音楽祭で話題になった《イル・トロヴァトーレ》は、美術館に舞台を移すヘルマニスの演出に何らの必然性も感じられず、奇をてらっただけのものでした。あんなものが意外にも評判が悪くないらしいのがわけがわからない。パリのチェルニコフ演出の《マクベス》もこんなひどいものは見たことがない、というものでした。
 それに比べると、今回DVDで映像をお見せするベルリンの《イル・トロヴァトーレ》(ネトレプコとドミンゴという主要キャストがザルツブルグと同じ)では、シュテルツェルの演出が単なる奇抜ではない新規性があって面白く、バレンボイムの指揮(スカラ時代などの彼のヴェルディ演奏はあまり好きではなかったのですが)も、これぞヴェルディという音楽の美しさと様式感をしっかり押さえたもので、さすがだと見直しました。ドミンゴのルーナ伯爵も、声がバリトンではないのでシモンやリゴレットでは「暗さ」が足りないとかんじられたが、この役では明るめの声でもそんなに違和感はない。現代のヴェルディ演奏のひとつのあり方を示す例として紹介します。
 
ということで、以下のDVDの主要シーンをその場で鑑賞:
 《イル・トロヴァトーレ》2013年12月ベルリン国立歌劇場公演
指揮:ダニエル・バレンボイム
演出:フィリップ・シュテルツェル、装置:コンラッド・モーリッツ・ラインハルト
衣装:ウルスラ・クトルナ、照明:オラフ・クドーゼ 
レオノーラ:アンナ・ネトレプコ
ルーナ伯爵:プラシド・ドミンゴ
マンリーコ:ガストン・リベロ
アズチェーナ:マリナ・ブルデンスカヤ
フェランド:アドリアン・セムペトレーン

なおこれは、ベルリン国立歌劇場(シュターツオパー)の公演ですが、いわゆる「リンデン・オパー」と呼ばれる本拠の劇場が改修工事中のため、シラー劇場で上演されています。狭い空間を効果的に生かすために、正方形を45度回転させて2辺が客席側に張り出す形の小さな舞台には何も大道具を置かず、後方の2面の壁に移された映像と小道具のみで場面転換。幕間の休憩なしに各幕を連続して見せる、など、舞台進行の面でも新機軸の演出といえるものでした。
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                                       (Simon)
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