2018年07月01日

第3回寺倉寛講演会「青春のジュゼッペ・ヴェルディ」(2018年6月30日)

 アッバードからムーティの時代にミラノ・スカラ座オーケストラで25年間ヴィオラ奏者を務めた寺倉寛さんの講演会。2015年、2016年は大阪市立公会堂で開催しましたが、今回は大津市のびわ湖ホール小ホールで2018年6月30日に開催されました。今回も聴き手は落語作家の小佐田定雄さんです。
当日は15時からびわ湖ホール大ホールでバーリ歌劇場《イル・トロヴァトーレ》の公演があり、それに続けて19時からの本講演会ということで多くのお客様の来場が見込まれたのですが、天候のハプニング。夕刻に大きな雷雨があり、落雷の影響でJRや京阪が運休。オペラに来場していた人はよかったのですが、この講演会のために大阪・京都方面からの来る方に大きな影響が出てしまいました。それでも、寺倉さんの意向で講演会は定刻に開始しました。
「ミラノ・スカラ座はいつも定刻開始」というお話から対談はスタートします。イタリアでは珍しいことですが、スカラ座は20時の開演時間をきっちり守るのがトスカニーニ以来の伝統とのこと。小佐田さんがすかさず「日本では開演の合図にベルやチャイムが鳴りますが、スカラ座は、何も鳴りませんな。その代わりに、シャンデリアの明かりが点いたり消えたりする。あれはカッコええですなあ。」
(以下、「私」とは寺倉さんのことです。)
その開演時間とも関係ありますが、ある残念な事件を思い出します。スカラ座の音楽監督として19年間君臨したリッカルド・ムーティが2005年に解任されてしまいました。オーケストラ団員の圧倒的多数が不信任投票に賛成したため、と言われていますが、実態はそんなものではありません。本心からの反ムーティ派はほんの5〜6人だったのに、彼らが世間知らずの若い音楽家たちを説得して回った結果、ほとんど無関心だった8割の楽団員が不信任に賛成してしまったのです。もちろんこの解任劇の裏にはいろいろな政治的思惑も絡んでいました。私は(ムーティを支持する)残りの2割の方でしたので、よかった。今でもマエストロに顔向けできますからね。
さてその時にオケ離反の原因のひとつとして取沙汰されたのが「ムーティがスト破りをした」というエピソード。オーケストラがストライキを行った時に、ムーティがピアノ伴奏でオペラ公演を「強行してしまった」というものです。その日私は非番のためスカラの上階にあるリハーサル室で練習をしていました。どうも下の方でもめ事があるらしい、というのでオケピットの入口に降りて行ってみると、いつもなら開演15分前にもなると楽団員たちがウォーミングアップの音出しや練習をしているのに誰もいません。一方で客席にはお客が詰めかけ大変な熱気です。演目は人気の《ラ・トラヴィアータ》ということもあったのでしょう。ふつうなら、オーケストラがストライキを打つときには劇場側が事前に観客に告知して払い戻しの手続等をするものですが、何かの手違いでそれもなかったようです。開演時刻になっても空っぽのオケボックスを見て観客たちが騒ぎ始めました。総裁が舞台に出ていって事情を説明し、チケットは払い戻しますと言いますが誰も納得しません。総裁がすごすごと引っ込んだあとも席を立つお客はいないのです。場内はますます殺気立ってきました。これは大変なことになったと見ていると、舞台にピアノが1台運ばれて来ました。スカラ座にはスタインウェイのフルコンが5台あるのですが、それではなく練習用の標準サイズのグランドピアノです。そしてムーティがスコアを持って登場。歌手たちも登場して演奏会形式でのオペラ公演が始まったのです。観客たちは大喜びで、ことなきを得ました。ムーティはその場をおさめるために臨機応変の対応をしただけなのですが、結果的には「スト破り」のようなことになり、一部の団員に恨みが残ったという次第なのです。
通常オペラのソリストたちの練習は、コレペティトゥアという専門のピアニストによって行われるのですが、ムーティは必ず自分でピアノを弾いて稽古をつけていました。ですからピアノによってオペラ全曲を弾いてしまうのも彼にとっては造作もないことだったのです。
私は、アッバード時代の終わり頃にスカラ座に入りました。当時のオケはひどいもんだったのですが、それはアッバードのせいとはいえません。オケの組合と折り合いが悪くなっていて、彼はあんまり指揮をせず、客演の指揮者ばかりが交代で来ていました。マーゼルとかサバリッシュのような大物の時はまだいいんですが、それ以外の人は、やっぱり次も呼んでもらいたいものだからオケに遠慮して何も言えない。オケを甘やかしていたんですな。指揮者が棒を振り下ろしても音がいっぺんに出てこない。バラバラです。それをムーティが音楽監督になってから力関係が逆転、一歩一歩直して行って、オケも合唱もレベルが上がりました。
そんなムーティが解任されたときには、新聞の取材を受けました。名前を出さない条件で応じたのですが、翌朝の新聞をみると「東洋人の楽団員がこう言った。」と書いてある。まるわかりですわな(笑)。いろいろな人に「あれはお前か」と言われる。その時合唱団に韓国人がふたりいたので「彼らでしょう」といってごまかしました。
<小佐田さん>「そのミラノ・スカラ座に私も行かしてもらいました。3年前にこの対談を頼まれた時です。ヴェルディ協会の高岡さんに<平野に行ってもらえませんか?>と言われたので、平野やったら電車ですぐですから<ああ、ええですよ。>と答えたんです。ところがどうも様子がおかしい。<何日くらい休めますか?パスポートは持ってますか?>と聞かれる。これが平野やなしにミラノやったんですわ。(笑)」
 そうなんですよ。イタリア語はふつうアクセントが終わりから二番目に来る。だからミラノも「ミラーノゥ」と発音する人がいるんですが、これが違うんですね。「平野」と全く同じアクセントなんですわ(笑)。
<小佐田さん>「そのミラノで寺倉さんに会って、スカラ座の中も案内してもらいました。既に退職されてた後なんですが、劇場の人がみんな寺倉さんの顔を見ると<マエストロ!>といって声をかけてくる。たいへんなもんでしたな。」
 いやいやそんなエライもんやないんですが、長くいたもんですからね。
<小佐田さん>「それでそのスカラ座にはどんなきっかけでおはいりになったのですか?」
 大学(同志社大学工学部)のオーケストラ部でヴァイオリンを弾いたり指揮をしてました。そしてテレマン・アンサンブルに入れもらったのですが、その時にヴィオラをやれといわれて、10年やりました。それからミラノのヴィオラの先生のところに1年の予定で留学させてもらったのですが、スカラ座でヴィオラのオーディションをするので受けてみろと言われて受けたら受かってしまったのです。
 ヴィオラという楽器は、基礎技術がしっかりしていないと鳴らないのです。だからヴィオラを上手に弾ける人は、ヴァイオリンの初級・中級のいい先生になれます。
(その後会場からの質問コーナーで「指揮者の特徴について何か」という質問あり)
 指揮者というのは自分が表現したい音楽を体の動きに変換する、いわば一周の舞踏家のようななものです。その踊りの仕方に指揮者の個性が出るのですが、ムーティは一番音楽に忠実で動きが正確、わかりやすい指揮でしたね。カラヤンもそうです。
 でも、指揮者の仕事というのはそう単純なものではありません。動きが正確でなくても大指揮者だった人もいます。ジュリーニがその典型でしたね。見ていてもさっぱりわからない。それでも出て来る音楽はすごいんです。特に手兵のロスアンゼルス・フィルなどではそうだった。永年の付き合いでわかるんでしょうね。
 スカラ・フィルはアッバードが生みの親で、ジュリーニが産婆さん、ムーティが育ての親という感じでしたが、ジュリーニがよく振りに来ていました。指揮者のテクニックがなくても大指揮者だった数少ない例でしょうね。
(「イタリアのオペラハウスのランキングについてのご意見を」という質問に対して)
 やっぱりスカラがダントツですね。最近はイタリアのオペラハウスも完全な公営ではなく、半分は民営なんです。スカラはそのスポンサーがどんどんつく。オペラはお金がかかるものですから、やはりこの財政面で豊かというのがとても大きい。いい歌手を起用していい公演ができるのです。
(「《蝶々夫人》は日本人からみると変な演出が多いが」という質問に対して)
 私は最近の演出はよく知らないのですが、私がやっていたころは浅利慶太の演出でしたから、着物の着方とか、日本舞踊とか、特に変だということはなかったですね。日本人だからといって私が何か聞かれるということはありません。全部日本人の専門家が来て指導してました。
(「歌手についての思い出を何か、きかせてほしい」という質問に対して)
 やっぱりドミンゴでしょうか。とても人柄が良くて誰からも好かれていましたね。ある時、これは録音だったのですが、何回録りなおしてもうまくいかない、ということがありました。そのたびにオーケストラは何度も同じところ繰り返すわけです。それではオケの人たちに悪いからと言って、もうこれでいいです、と彼から言い出したことがありましたね。
 また、ある時、ドミンゴも歳をとってからはいつも調子がいいわけではありませんでした。まだテノールを歌っていた頃ですが、オペラの途中で声が出なくなってしまいました。彼はその時、お客さんに向かって「申し訳ないが、もうこれ以上は歌えません。すみません。」と言って謝ったのです。お客さんは暖かい拍手でこたえました。その後は代わりの歌手が引き継いで歌ったのですが、騒ぎになることはありませんでしたね。
 スカラの大向うというのはうるさいので有名です。ドミンゴは例外。ちょっとできが悪いとすぐにブーイングを喰らいます。若手の歌手なんかおそろしくていつもピリピリしてましたね。あのパヴァロッティも、高音を失敗してしまったことがありました。その時はひどいブーイング。それからパヴァロッティはスカラには出なくなりましたね。ドミンゴだったらああいうことにはならなかったと思います。
それからね、長いことやっていると、事故が起こることもあります。《トゥーランドット》の公演で、ディミトローヴァが歌っていて、ワンフレーズ飛ばしてしまったことがありました。指揮者はマーゼルでした。すぐに気がついてオーケストラを止めます。歌手はまだ歌っていますが、このままだと音楽が止まってしまいます。指揮者は「次は第何小節から」と声に出して指示するわけにいきません。こういう時にどうするのか。誰かがこのへんだろう、と見当つけて弾き始めるんです。それが合っていれば、指揮者はその奏者の方を向いて振り始めるんですね。その時はチェロの首席でした。彼が弾き始めたのを聴いて「ああここか」とわかった人から合わせていく。しばらくすると全体が音を出して元に戻っていくわけなんです。見ているのはパート譜なんですけど、みんな一流の音楽家ですからね、だいたいわかるんですよ。
(こうして、前半の対談は終了。休憩をはさんで、後半は実演を交えた「音楽ミニ知識」というコーナーが予定されています。ところが、寺倉さんは手ぶらで登場します。)
 前回はヴィオラ・ダモーレという楽器を演奏しました。最近は飛行機の機内持ち込みも厳しくなってきまして、この楽器がちょっと大きいので引っかかりました。家内がヴァイオリンだと言い張ったのでなんとか持って来れたのですが、持って帰るのも難儀なので日本に置きっぱなしにしています。練習する機会がありません。それで今回はこれの実演はできません。
(と言って何やらシャツの中から取り出します。)
みなさん、これがなんだかわかりますか?みなさんも小学生の頃、音楽の時間にやったでしょう。昔はスペリオ・パイプなんて言ってましたが、今はリコーダーと呼ぶみたいです。プラスチックでできたたて笛です。これもね、小学生が使うやつで、ケースの袋には「なんねん、なんくみ、だれだれ」と名前を書くところがついています。2,400円でした(笑)。イタリアでも子供はこれをやるらしくって、どこの家庭にいっても1本や2本はころがっているしろものです。今日はこれを使います。
リコーダーもアンサンブルで演奏することがありますが、今日は1本しかありません。「無伴奏」の音楽について考えてみたいと思います。「無伴奏」といえばバッハが有名ですね。ヴァイオリンやチェロ、フルートなど、単旋律の楽器をつかってすぐれた音楽を書いています。
絵画でいえば、オーケストラは総天然色の油絵といったところ。それに対して「無伴奏」は墨絵のようなものでしょう。名人が描いた墨絵が色を感じさせるように、名手が奏でる無伴奏は、他の音も聞こえてくる。聴いている人の想像力を刺激するのです。
これは、落語のテクニックにも通じるところがありますね。落語はひとりの演者が顔の向きをちょっと動かすだけで、いろいろな人物を描きわけます。例えば、ツネやんのセリフがヴァイオリンの主旋律だとするおt、親旦さんのセリフはチェロ、キー坊のセリフはヴィオラのパート。これらを混ぜて演奏して、聴き手の頭の中で組み立ててもらうのです。
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・・・・・と言って、寺倉さんは「G線上のアリア」で知られるバッハの管弦楽組曲第3番のアリアのいくつかの声部を混ぜたものをリコーダーで演奏してみせる。そのあと、さらに管弦楽組曲第2番などよく知られた曲を組み合わせた「プラスチックの笛のための組曲」をリコーダーで演奏。音楽の組み立て、骨格というものが「無伴奏」の形式でよく見えてくる、という実演によりユニークな講演会は大拍手のうちに幕を閉じました。
                                  以上 (Simon)

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2018年06月21日

ビサンティ&ガザーレ講演会(2018年6月19日)

 当協会とイタリア文化会館の主催により、指揮者のジャンパオロ・ビサンティ氏とバリトンのアルベルト・ガザーレ氏による講演会が、イタリア文化会館アニェッリホールで6月19日に開催されました。
 おふたりは、6月22日から始まるバーリ歌劇場来日公演のために来日。この日は日本に到着されたばかり、直前までリハーサルをされていたその足で会場に駆けつけてくれたものです。その疲れもみせず、今回上演する《イル・トロヴァトーレ》のお話を中心に、ガザーレ氏の実演も含め熱のこもった楽しいトークが繰り広げられました。
 ピアノは間嶋純子さん。通訳は井内美香さん(当協会会員)。司会は、この企画のために尽力した音楽評論家で当協会理事の加藤浩子が担当しました。
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 (以下のお話は、筆者がとったメモにより再構成したもので、必ずしも正確でないかもしれません。内容についての責任は全て筆者にあります。)
 冒頭、加藤氏による紹介がすむと、ピアノはすぐに《イル・トロヴァトーレ》第1幕のルーナ伯爵登場シーンのメロディを奏で、いきなりガザーレ氏がルーナ伯爵のレチタティーヴォを歌ってくれるところから対談が始まりました。
司会「ありがとうございます。ガザーレさんは、このルーナ伯爵役を既に何度も歌っておられますが、最初はムーティ指揮でしたよね?」
ガザーレ「そうなんですが、私は今回日本でこの役を歌うことを大変幸せに思っています。なぜなら、現在この作品を振らせたら世界一の指揮者と一緒に歌うのですから。(笑)」
ビサンティ「ありがとう(笑)。ちょっとほめすぎだよ。さて、私にとっては《イル・トロヴァトーレ》の上演は、今回の来日公演が3つめのプロダクションということになります。ヴェルディという作曲家は、長い生涯(1813〜1901)にわたり多様な作品を書いていますので、演奏するにあたっては、その作品が全体の中でどのような位置づけにあるのか、ということをまず考える必要があります。27作品(26のオペラおよびレクイエム)のうち、《オベルト》(1839)から《ナブッコ》(1842)までの最初の3作品は、実質的に主にドニゼッティの影響を受けたベルカント様式でできています。その後、《マクベス》(10番目の作品、1847年初演)によって彼独自の世界を切り開きました。後期にいたるとワーグナーの影響が出てきます。《シモン・ボッカネグラ》(20番目、1857年初演)、《仮面舞踏会》(21番目、1859年初演)あたりからですね。その中間にあって中期三大傑作といわれる《リゴレット》(16番目、1851年初演)《イル・トロヴァトーレ》(17番目、1853年初演)《ラ・トラヴィアータ》(18番目、1853年初演)の中でも、《イル・トロヴァトーレ》は真ん中に位置するわけです。これらの人気ある3作品は全部違う性格を持っていますが、一番上演が難しいのが《イル・トロヴァトーレ》でしょう。ソプラノ、メッゾ・ソプラノ、テノール、バリトン、バスの「5つの最高の声」を揃えなければならないからです。
そして、また《イル・トロヴァトーレ》は、ベルカント・オペラの伝統との結びつきも一番強い作品です。一方で《リゴレット》は《マクベス》と同じような様式をもち、革新的な要素が強い作品となっています。
3作品ともバリトンの声を中心に展開しますが、それぞれに要求されるバリトンの性質も大変違っています。リゴレットは、皮肉な運命に翻弄される父親として悲劇的で哀れな人物を描かなければなりません。《ラ・トラヴィアータ》のジェルモンは、ノーブルでカンタービレな歌唱が要求されます。これに対し、《イル・トロヴァトーレ》では、作品全体はベルカント的であるにも拘わらず、バリトンにはSuper Uomo(卓越した男)としての強い性格とヴェリズモ的な表現力が必要とされるのです。
 いずれにせよ、ヴェルディがバリトンという声を愛していたことは確かでしょう。それに対して、ソプラノは歌うのが難しいものが多い。あまり好きではなかったのかもしれません。(笑)」
ガザーレ「たしかに、ヴェルディ全体を知っておくことは大事ですね。初期の<ガレー船の時代>といわれた作品群、中期の3作品、そして後期という中で《イル・トロヴァトーレ》はちょうど真ん中です。」
ビサンティ「《イル・トロヴァトーレ》は、初演の時から《ナブッコ》以上の大成功でした。観客が既に新しい時代が始まっていることを理解していたからだと思います。ワーグナーに対抗する世界です。もしかしたらヴェルディは《オテッロ》と《ファルスタッフ》でワーグナーをからかったのかもしれませんよ。ワーグナーが8時間かけて表現することを俺なら3時間に圧縮してやってみせるよ、と。(笑)」
ガザーレ「《オテッロ》ではレチタティーヴォも進化していますね。」
 と言って、ガザーレ氏は《オテッロ》第2幕でヤーゴがオテッロに夢をみたという話をする箇所を歌ってみせます。ピアノの間嶋さんは《イル・トロヴァトーレ》のヴォーカル・スコアは持ってきていますが《オテッロ》の楽譜はありません。なんと、直前にガザーレ(いつも楽譜を電子ファイルにして持ち歩いているそうです)からWhatsApp(イタリア版のLINE)で送信してきた楽譜を小さなスマホの画面をのぞき込みながら弾いています。
 さらに、ガザーレ氏は、夢の話のあとでヤーゴが「デズデーモナ様がいつも手にお持ちになってる花の刺繍のはいった布地をご存じで?」と言うのに対しオテッロが「あれは最初の愛の印に私が贈ったハンカチだ」というやりとりの部分まで、つまりテノール・パートまでも歌ってしまいます。
ガザーレ「《オテッロ》は実験的な作品で、芝居と同じ上演時間で演奏できるようにセリフの部分を歌で表現する技術を開発しているのです。
《セヴィリアの理髪師》の時代のレチタティーヴォは違います。オーケストラはなしで、チェンバロの和音にのせる「レリタティーヴォ・セッコ」という形式でフィガロはセリフを言います。(ピアノに合図して、伴奏部の和音を弾いてもらう。)
 モーツァルトもこの形式で書いていますが、彼だけは特別なところがあります。速く弾いても遅く弾いても傑作であることに変わりがない。歌で意味を伝える「モーツァルトの魔法」を使っています。(筆者注:レチタティーヴォだけに劇の進行を委ねていない、ということを述べてるのだと思います。)
 モーツァルト以外の作曲家は、もっと真っ正直に、単なるセリフの部分としてレチタティーヴォを使おうとしています。ロッシーニやドニゼッティやベッリーニの時代のお客というのは必ずしも真面目に舞台に集中しているわけではなく、飲食をとりながらオペラを観ていました。アリア以外はちゃんと聞いていなかったかもしれません。劇場は娯楽と社交の場所だったのです。
 ヴェルディとワーグナーがそうしたオペラの在り方を変えていきました。
 ところで、《イル・トロヴァトーレ》はベッリーニ的な世界も持っています。」
 <Il balen...(君のほほ笑み)>の冒頭部分を歌ってみせる。
ガザーレ「この曲の伴奏部分の分散和音はベッリーニですよね。この作品はベル・カントの要素がたくさん残っています。でも、ひとりの女性がはみ出していますね。そう、アズチェーナです。彼女は全く新しい人物像ですね。」
と言って、第2幕冒頭のアズチェーナのアリアのさわりをファルセットで歌ってみせる。
ガザーレ「これは、バラード。ふつうの、市井の人の歌です。これに対して他の主役、ソプラノもテノールも、バリトンもそれぞれのアリアはカヴァティーナ・カバレッタ形式で書かれています。」
と言って、第3幕のマンリーコのアリアのさわりを歌う。
ビサンティ「そこまでやっちゃうの。次はソプラノも歌ってくれるんだね!(笑)」
ガザーレ「(観客席に向かって)誰か僕のかわりにソプラノを歌ってくれる人、ヴォランティアでお願いします!いませんか!(笑)」
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ビサンティ「17世紀から19世紀の前半までに作曲されたベルカント・オペラは定型のスタイルが決まっていました。そこで、その様式を踏まえた上でなら歌手が自由に自分流の歌い方で表現していたのです。ヴェルディはそこを変えていきました。《マクベス》あたりからは、細かい表現方法が全部楽譜に書き込まれているのです。
 ところで、オペラに悲劇的なメロドランマが多いのは、聴衆であるイタリア人がそれを好んだということがあります。悲劇が好き、セックスやお金が好き、つまり現世的な享楽が好き、というのは、これはもう我々イタリア人の国民性ですね。
 そうしたテーマをオペラに仕立てあげるにあたっては、台本作家も大きな貢献をしていることを忘れてはなりません。当時は検閲というものがあり、そうした厳しい条件をかいくぐって作曲家を刺激しつづけたのが台本作家なのです。良い台本があったからこそ作曲家もすぐれた作品を残すことができたのです。
 有名な《セヴィリアの理髪師》は、ロッシーニが作曲する前に、同じ台本でパイジェッロが先に作曲しているのですが、後から作曲したロッシーニの方が有名になり、パイジェッロの作品は忘れられてしまった、などという話もあります。
 ヴェルディは台本を重視し、台本作者を注意深く選びましたし、あれこれ注文もつけました。ワーグナーは(自分で台本を書いたので)そんな心配をすることはなかったでしょうね。(笑)」
 ガザーレ「《イル・トロヴァトーレ》の台本もよくできていますが、作者のカンマラーノは制作の途中で死んでしまいました。台本制作は弟子に引き継がれわけですが、この作品はヴェルディが自身で選んだ物語なので、彼が細かい注文をいろいろと出して完成させることができたのです。第2幕のルーナ伯爵のアリアと、第4幕のレオノーラのアリアは全くできていなかったのですが、ヴェルディが後を引き継いだバルダーレにいろいろと指示を出す手紙のやりとりが残っています。現代だったらWhatsAppでやりとりするでしょうからあとに何も残りません。当時は手紙しかなかったことに我々は感謝しなければなりませんね。(笑)
 ところで、日本人とイタリア人って「相思相愛」ですよね。日本の人たちはオペラが好きだし、よく理解してくれているので、この地で歌うのはとても楽しいのです。なぜ、そうなのか?イタリアがオペラを発明したちょうどその同じ時期に日本では歌舞伎が始まりました。オペラと歌舞伎は、歌と音楽による劇という点で同じです。ドイツも、フランスも、オペラを始めたのはイタリアよりずっと後になってからです。でも日本は同じ時代から歌舞伎を楽しんできました。それが、お互いに深い所で理解し合える原因だと私は思っているんですよ。(笑)」
司会「とてもいいお話で締めくくっていただき、ありがとうございます。(笑)さて、予定のお時間になってまいりました。最後に、マエストロ、バーリの歌劇場、ペトルッツェッリ劇場についてひとことご紹介願えますか?」
ビサンティ「バーリ歌劇場は、イタリアに14ある大歌劇場(ente lirica)のひとつです。その中でも、建物の美しさという点ではペトルッツェッリ劇場は、ナポリのサン・カルロ劇場、カターニアのマッシモ・ベッリーニ劇場と並んで三指に入る素晴らしいもので、バラ色の色調が特徴です。1991年の火災で内部が焼失してしまい20年近くかけて復旧するまでは他の場所で公演を行ってきました。昔から大歌手が出演してきた格式の高い劇場ですが、近年新しい総裁が就任し、経営陣が刷新されてから、市の中心として機能し、プログラムも充実してきています。オーケツトラも若くて真面目で優秀なメンバーで構成されておりとてもレベルが高いものです。私自身はミラノ出身ですが、バーリという場所の海の美しさと食事がおいしいことに魅了されています。」
ガザーレ「これだけはつけ加えておきたいのですが、この歌劇場のレベルが上がったのはビサンティが常任指揮者になったことが大きく貢献しているのですよ。」(拍手)IMG_3737大.jpg
 この後、質問コーナーとなり、「ヴェルディの声はバリトンだったのではないか」といった話や、日伊の違いという話題の中で「イタリアはいろいろな民族に征服されてきた。今度は日本に征服されたいよ」という冗談まで飛び出すしまつ。その和気あいあいとした楽しい夕べとのとどめが、サービス精神旺盛なガザーレさんによる《オテッロ》の<悪のクレード>を歌ってくれる「アンコールのおまけつき」でのお開きとなりました。
                                 以上(Simon)
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2017年11月26日

会員限定企画・T氏邸サロンコンサート(第2回)

 昨年4月に引き続き、2017年11月25日に、野田市にある当協会顧問T氏の私邸内ホールで、会員向け(今回は会員の同伴者も参加)のサロンコンサートが行われました。
 当日は、東京駅丸の内口から貸し切り大型バス1台で出発。好天の中、まず江戸時代から名主をつとめた旧家T家の旧邸と庭園(上花輪歴史館)をガイド付きで見学のあと、ご本宅でコンサートを拝聴しました。
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 今回も出演者の顔ぶれはTさんご自身の手配によるもので、参加者には当日初めて知らされる「お楽しみ企画」。ふたを開けてみると、東京二期会でご活躍の今が旬の歌手の皆さんとピアノ伴奏の名手で、T氏お好みの選曲にたいへんよく合ったすばらしい布陣でした。
ソプラノ:田崎尚美(たさき・なおみ)
テノール:片寄純也(かたよせ・じゅんや)
バリトン:成田博之(なりた・ひろゆき)
ピアノ:谷池重紬子(たにいけ・えつこ)
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<プログラム>
1.《シチリアの晩鐘》よりモンフォルテ(Br)のアリア(イタリア語版)
  <In braccio...>(富を手にして)
2.《運命の力》よりアルヴァーロ(T)のアリア
  <La vita è inferno...>(不幸な者にとって生きる事は地獄だ)
3.《マクベス》よりマクベス夫人(S)のアリア
  <Nel di della vittoria...>(勝利の日に)
4.《仮面舞踏会》よりレナート(Br)のアリア
  <Alzati!...Eri tu che macchiavi...>(お前こそ心を汚す者)
5.《ルイーザ・ミッレル》よりアッリーゴ(T)のアリア
  <Quando le sere...>(星の明るい夕べに)
6.《アイーダ》よりアイーダ(S)とアモナズロ(Br)の二重唱
  <Ciel! Mio padre.>(まあ、お父様)
7.《イル・トロヴァトーレ》よりレオノーラ(S)とマンリーコ(T)の二重唱
  <Miserere>(ミゼレレ)
8.《イル・トロヴァトーレ》より
ルーナ伯爵(Br)、マンリーコ(T)、レオノーラ(S)の三重唱
  <Tacea la notte...>(静かな夜)
9.参加者全員合唱《ナブッコ》より<Va pensiero...>(ゆけ我が思いよ)
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 2階まで吹き抜けの響きのよいホール、しかも至近距離で一流歌手の熱唱を聴く迫力はたいへんなものです。劇的で熱気にあふれたヴェルディの音楽のパワーを堪能しました。終演後はT氏ご夫妻心づくしのワインパーティーも開かれ、出演者の皆さんとの歓談も得難い体験となり、忘れがたい午後のひと時を過ごすこととなりました。
                                   Simon


               
 


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2017年10月19日

パルマ・フェスティバル・ヴェルディ2017

 ヴェルディの誕生日(10月10日)を記念して、その前後にパルマとブッセートではパルマ・テアトロ・レージョ(王立劇場)が主催するフェスティヴァル・ヴェルディが毎年開催されます。今年の音楽祭の期間は9月28日から10月22日まで。筆者は10月11日から16日までパルマに滞在し、下記3公演を聴きました。
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1.《イェルサレム》(2017年10月12日、テアトロ・レージョ)

 ガストン(ベアルヌの子爵):ラモン・ヴァルガス   
トゥールーズ伯爵(十字軍の司令官):パブロ・ガルヴェス
 ロジェ(トゥールーズ伯の弟):ミケーレ・ペルトゥージ  
エレーヌ(トゥールーズ伯の娘):アニック・マシス
 アデマール・ド・モントゥイユ(教皇特使):デヤン・ヴァチコフ
 レイモン(ガストンの侍臣):パオロ・アントニェッティ
 ラムラの太守:マッシミリアーノ・カッテラーニ
 太守の家臣:マッテオ・ローマ 伝令/兵士:フランチェスコ・サルバドーリ
指揮:ダニエレ・カッレガーリ  演出:ウーゴ・デ・アナ
 照明:ヴァレリオ・アルフィエーリ(プロジェクト・デザイナー:セルジョ・メタッリ)
 振付:レダ・ロジョディーチェ  合唱指揮:マルディーノ・ファッジャーニ
 アルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー交響楽団  パルマ王立劇場合唱団
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 《イェルサレム》はヴェルディが34歳の時にパリのオペラ座のために作ったオペラで、めったに上演されない作品であるため、筆者もナマで聴くのはこれが初めて。ヴェルディがパリに滞在していた短い期間に仕上げる必要があったため、4年前にイタリアで大ヒットした《第一回十字軍のロンバルディアの人々》(以下《イ・ロンバルディ》と略す)を改編して作られました。このため、ヴェルディの正式の作品リストには入れないこともあるのですが、バレー曲をはじめとして新たに作曲した部分も多く、フランス語で歌われるということも相俟って、《イ・ロンバルディ》とかなり印象が違う作品になっています。筋書きも、登場人物を歴史上実際に第一回十字軍の中心人物であったトゥールーズ伯をめぐる人々に置き換え、《イ・ロンバルディ》に比べると無理のないものになっています。
 ガストン(T)、エレーヌ(S)、ロジェ(B)の3人が主役といっていいこのオペラの中で、この日は特にロジェを歌ったミケーレ・ペルトゥージの出来が良く、地元出身ということもあって大喝采を受けていました。ロジェは、姪にあたるエレーヌに横恋慕し、その結婚相手のガストンを無実の罪に陥れる悪辣な男ですが、後に改心して砂漠の隠者として聖人扱いされる、という単なる悪役ではない複雑な性格です。しかも恋敵役でもあるキーロールなので、ヴェルディ作品の通例であればバリトンがあてられ、トゥールーズ伯の方をバスが歌うということになりそうなはずですが、オリジナルの《イ・ロンバルディ》のパガーノもバス役であったことと、パリ初演のロジェを歌ったアドルフ=ルイ=ジョゼフ・アリザールという優れたバス・バリトン歌手がいたためと、思われます。ペルトゥージは、バス歌手としては低音の響きに特に凄みがあるというわけではないのですが、柔らかい発声でフランス語も巧く、しかもヴェルディらしい劇的な要素を陰影深く表現できていたと思います。
 ガストン役のラモン・ヴァルガスも、さすがに日本でもおなじみの一流歌手だけに張りのある声で安定感のある歌唱をみせてくれました。《イ・ロンバルディ》で主役テノールが歌うオロンテは、イスラム教徒側のため第2幕からの登場でしかも死んでしまって亡霊となるというやや傍系の役割ですが、この作品ではヒロインのエレーヌと恋仲のフランス貴族として第1幕から登場し、無実の罪を着せられて放逐されるという立場となります。つまり、オロンテよりもより一貫したオペラの主人公になるわけで、パリ初演でこの役を歌った名テノール、ジルベール・デュプレを引き立てる役作りになっているのです。ヴァルガスの存在感と役作りはそうした立場にふさわしいものになっていました。
 実は、このヴァルガスとペルトゥージのふたりについては、筆者は20年前(1997年11月)にニューヨークのMETでバルトリが《チェネレントラ》(レヴァイン指揮)に主演してセンセーションを巻き起こしたときに、ラミロとアリドーロで共演していたのを聴いたことがあります。(終演後に楽屋でペルトゥージにその話をすると彼もよく憶えていました。)まだ若くてロッシーニを軽やかに歌っていたふたりが、今や堂々たるヴェルディ歌いになっているわけです。あの頃に比べるとヴァルガスは体もずいぶん太めになりました。
 エレーヌのアニック・マシスは、以前に聴いた時に比べると特に前半が苦し気な発声に聞こえたので調子があまりよくなかったのか、美声ではあるのですがフランス語ネイティブのわりに言葉がやや不明瞭でした。それでも精彩を欠くというほどではなく、カーテンコールでも厳しいと言われるパルマの聴衆から暖かい喝采を受けていました。
 カッレガーリの指揮は手堅く、引き締まったもので、暗めの物語ながらフランス風の華やかなところもある音楽をうまく聴かせてくれました。特に、第3幕の太守のハーレムのシーンでは、かなり長いバレーシーンがあるのですが、緩むことなく緊張感を維持していたのはさすがだと思います。
 ウーゴ・デ・アナの演出は、彼のものとしては比較的奇をてらうところもなく、流行りの映像を使うもののそれだけにたよることないのダイナミックなものでした。たとえば、第2幕以降のパレスチナが舞台の場面になると、前方の紗幕に荒涼たる岩山の映像を写すとともに舞台には音をたてて砂が降ってきます。最初はそれも映像かと思ったのですが、登場人物たちの足跡がつくので舞台上が本物の砂で覆われていることがわかりました。中東の苛烈な環境を砂漠のイメージで強調し、十字軍や巡礼たちの置かれた厳しい状況がヴィジュアルにわかる仕組みです。
 舞台前面の紗幕は全幕を通して張られたままで、様々の映像がプロジェクションマッピングで投影されます。舞台が暗い時には映像が中心となり、明るくなると舞台の動きが中心となりますが、その中間の紗幕の映像と舞台の風景をダブらせる場面もあります。
 映像は、前述の岩山など情景を説明する画像のほかに、宇宙を運行する天体とその円の中心にキリストの顔が現れる画像や、ラテン語の文字、とりわけ「DEUS VULT(神はそれを望まれる)」という聖墳墓騎士団のモットーとその紋章(白地に大きな赤い十字架とその四方に小さい赤い十字架が描かれている)が繰り返し登場します。そこからは読み取れるメッセージはおそらく「多くの人々の命を落とし、苦しみを生んだ十字軍という壮大な企ては、本当に神が望まれたものだったのか?」という問いかけではなかったか、と思います。
 なお、パルマ歌劇場は現在、常設の管弦楽団を持たないため、地元のトスカニーニ・フィルを起用することが多いようです。合唱団は持っていますから、東京の新国立劇場と似たような体制です。
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2.《スティッフェーリオ》(2017年10月13日、テアトロ・ファルネーゼ)

 スティッフェーリオ(プロテスタントの牧師):ルチアーノ・ガンチ
 リーナ(その妻):マリア・カツァラーヴァ
 スタンカー(伯爵でリーナの父):フランチェスコ・ランドルフィ
 ラファエーレ(若い貴族、リーナの不倫相手):ジョヴァンニ・サーラ
 ジョルジ(老牧師):エマヌエーレ・コルダーロ
 フェデリーコ(リーナの従弟):ブラゴイ・ナコスキ
 ドロテーア(リーナの従妹):チェチリア・ベルニーニ
 指揮:グイエルモ・ガルシア・カルヴォ  演出:グレアム・ヴィック
 装置・衣装:マウロ・ティンティ  照明:ジュゼッペ・ディ・イオリオ
 振付:ロン・ハウエル       合唱指揮:アンドレア・ファイドゥッティ
 ボローニャ歌劇場管弦楽団・合唱団

 《スティッフェーリオ》の公演は、パルマ歌劇場ではなく、ファルネーゼ家のパルマ公、ラヌッチォ1世(1569-1622)の時代に作られたピロッタ宮殿という建物の中にあるファルネーゼ劇場で行われます。サッビオネータにあるテアトロ・オリンピコを一回り大きくした感じの古代様式の劇場ですが、17世紀の後半以降は劇場としてあまり使われず荒廃していたものをヴェルディの時代のパルマ領主マリア・ルイジア(ナポレオンの皇后だったハプスブルグ家皇女)が修復したものの戦災で再び破壊され、戦後に再現復旧したものです。平土間は舞台に向かって細長長方形で入口側が半円形となっており、周りを木製の階段状の客席が取り囲み、さらにその上は古代ローマ風の柱廊が2層あるため天井はかなり高くなっています。
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 今回のグレアム・ヴィックの演出では、この劇場の構造を大胆に使う刺激的なものでした。まず通常の舞台はプロセニアムの部分に大きな幕がかけられ使用しません。その幕の前上手側にオーケストラボックスが設置され、指揮者は平土間側に顔を見せる形で棒を振ります。さらに指揮者の姿を映すモニターが三方の壁にも設置されているので、場内どの方向を向いていても指揮者の姿を観ることができるようになっています。
 観客は平土間の好きな場所で立ったままオペラを観るかたちとなります。そうした観客たちで埋め尽くされた平土間のあちこちに高さが人間の肩くらいで広さがおよそ3m四方の可動式の台がいくつも浮かぶように置かれ、いくつかを組み合わせたり離れたりして様々の島を形づくります。島によってはベッドや机、十字架が置かれているものもあります。ソリストたちは主にこのさまざまに変化する島状のステージの上で歌い演技します。
観客たちはその島を取り囲んで鑑賞するので、オペラ歌手の足元、かぶりつきで聴くということになったりします。場内は非常に音響がいいので、歌手の後ろ側の位置でも声はよく聞こえます。またある歌手は遠く、ある歌手は近い場所で歌っていたり、合唱も平土間のある片隅にいたり階段席で歌ったりと場所を変えますが、意外に音はまとまって聞こえるのでそれほどバランスが悪くもならないのです。平土間にいると、木製の階段席が2〜3階の高さでちょうとラッパのように天井に向かって開き、さらにその上に大理石の柱廊が2階分垂直に立って木製の天井を支えているので、残響が大きすぎず小さすぎもしない、大きさもほど良いホールならではの演出法と言えそうです。
 観客は歩き回ることができるといっても実際には人込みの中なので、そう自由に動けるわけではありません。多くはその場に立ちつくして音楽に耳を傾けることになります。
 さらに油断がならないのは、入場パスを赤いストラップで首からかけた観客と全く同じ恰好をした役者や合唱団員が多数紛れ込んでいて、突然隣で歌いはじめたり、演技を行ったりするのです。演技も半端なものではなく、取っ組み合いのけんか、ゲイのカップルのキス、服を脱いでパンツ一丁の裸になり両手を広げて十字架のキリストのポーズをとる、といった刺激的なものなのです。
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 音楽をゆっくり鑑賞するのに最適な環境とはいえませんが、スリリングで新鮮な体験であることは確かで、パフォーマンスとしては非常に面白いものでした。上演機会が少ないヴェルディの作品をこのような形で演奏することには賛否両論あることは確かでしょう。例えば今回筆者がパルマでお世話になった声楽教師・コレペティトゥアの田中久子先生は、断固反対だとおっしゃっていました。ヴェルディの初期と中期傑作群の間の過渡期にあるこの作品は、繊細な音楽なのでもっと落ち着いた形できちんと提供すべきだ、とのこと。そのご意見にも一理あります。しかしながら私は、過渡期であるがゆえに素晴らしいところとやや退屈になるところが混在するこの作品を、こうした刺激的な方法で味わうのもひとつの芸術体験として「あり」だと感じました。
 このオペラのお話は、19世紀前半、オーストリア帝国内のスタンカー伯爵の城で城主の娘リーナの夫である牧師スティッフェーリオが布教の旅を終えて帰ってくるところから始まります。彼はこの地方のプロテスタント信者から熱狂的に支持され、尊敬されている人物なのです。ところが、実はリーナは夫の留守中に若い貴族ラファエーレに誘惑されて浮気をしてしまい、大いに反省中。そしてそれに気づいた父親のスタンカーは名誉を汚されたと怒っている、という設定です。有名な人格者の妻が不倫、といういかにも現代にもありそうなスキャンダラスなお話ですから、登場人物が現代の服装をしていることにもあまり違和感がありません。それに、もともとこの台本の原作となったフランスの小説および戯曲も当時の「現代もの」であったということもあります。聖職者が結婚しており、しかも不倫される、劇中で離婚契約が署名される、など当時のイタリアの常識からすると破天荒な内容であり、検閲を気にしなかったのが不思議なくらい(実際、この作品は初演当時からずっと検閲に悩まされることになり、後にヴェルディは改作の《アロルド》を作りこの作品の上演はあきらめる)ですが、それだけに私生活でストレッポーニとの関係に悩んでいたヴェルディを惹きつけたお話でもあったわけです。
 そうした劇的で生々しい人間の悩める姿を描くことが目的であるとすると時と所の設定はどこでもいい、というのがヴィックの考え方なのでしょう。そして、手が届くような場所で歌手が熱演することにより、その生々しさも鋭く伝わってくるのでした。
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 歌手の中では題名役のガンチ(T)とリーナ役のカツァラーヴァ(S)がよく響くスピント系の声で好演でした。特にリーナは、劇的な表現力とアジリタの両方が要求される難役です。そしてこの演出ではかなりの演技力も要求されます。カツァラーヴァは容姿のハンデ(太目で大根足)を忘れさせる見事な歌唱と演技だったと思います。
 スタンカー役もバリトンとしてはテッシトゥーラが高く技巧的な歌唱を要求される難役です。ランドルフィ(Br)は、上述の二人に比べると声量は落ちるのですが、歌唱力と巧さでカヴァーして不足感はありませんでした。
 コンプリマリオ(準主役)のラファエーレとジョルジも充実。前者のサーラは、細身のイケメンテノールで、いかにも女たらしの軽薄な青年をうまく演じていましたし、後者ののコルダーロも、バスらしい深みのある声で主役を支えていたと思います。

3.《ファルスタッフ》(2017年10月15日、テアトロ・レージョ)

 ファルスタッフ:ミハイル・キリア フォード:ジョルジョ・カオドゥーロ
 フェントン:フアン・フランシスコ・ガテル カイウス:グレゴリー・ボンファッティ
 バルドルフォ:アンドレア・ジョヴァンニ ピストーラ:フェデリーコ・ベネッティ
 フォード夫人アリーチェ:アマリリ・ニッツァ ナンネッタ:ダミアーナ:ミッツィ
 クィックリー夫人:ソニア・プリーナ ページ夫人メグ:ユルジータ・アダモニテ
 指揮:リッカルド・フリッツア 演出:ヤーコポ・スピレーイ
 装置:ニコラウス・ヴェーベルン 衣装:シルヴィア・アイモニーノ
 照明:フィアンメッタ・バルディゼーリ 合唱指揮:マルティーノ・ファッジャーニ
 アルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー交響楽団 パルマ王立劇場合唱団
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 この日は、アリーチェ役のニッツァ以外はあまり有名どころの歌手は出ていませんが、歌唱も演技も巧者揃いで、指揮者のリッカルド・フリッツァの見事な統率のもと実に生き生きとしたアンサンブルを楽しむことができました。
 題名役は、他の公演日ではロベルト・ディ・カンディアが歌い、ミハイル・キリアは最終日のこの日のみの登場でしたが、他のキャストとの息もぴたりと合い、まだ若いはずですが堂々たる演奏でした。以前はファルスタッフというのはは功成り名遂げたベテラン・バリトンが最後に取り組む役というイメージが強かったものですが、ターフェルやマエストリ以降は、比較的若いうちからこの役に挑戦することが増えているようです。
 他のキャストの中では、フェントンのガテルとナンネッタのミッツィという若いカップル役のふたりが瑞々しいリリコの声で光っていたと思います。
 ヤーコポ・スピレーイ演出の舞台は、現代の英国への置き換えで、ウィンザーというよりはもう少し下町っぽい架空のロンドン近郊の町というイメージ。ナンネッタはダイアナ妃風の金髪ショートヘアに濃いアイライン、ミニスカートに厚底のブーツでしょっちゅうスマホをいじっている、といういかにもロンドンにいくらでもいそうな現代娘。一方のフェントンもキルト風ながらタータンチェックではなく黒革のスカート姿という現代青年。他の大人たちも現代風衣装ながらそれぞれの役柄をホーム・コメディー調に戯画化したような姿でなかなか楽しめました。
 全体として、指揮も演出も、ヴェルディ最後のオペラにして音楽的にも高度な作品に対する敬意は失わないものの、決して重々しくはなく、軽みと喜劇性を十分に表現するものになっていたと思います。
(Simon)
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2017年10月05日

第17回ヴェルディマラソンコンサート(2017年9月23日)

 日本ヴェルディ協会恒例のマラソンコンサートが、2017年9月23日(土・祝)にイタリア文化会館アニェッリホールで開催され、盛況のうちに終了しました。
 今回のテーマは「フランスの響き グランド・オペラ」と銘打ち、パリ初演から150周年にあたる《ドン・カルロス》のフランス語による初演版を抜粋で演奏しました。
 出演者は、上田純子(ソプラノ)、中山茉莉(メゾ・ソプラノ)、渡邊公威(テノール)、清水勇磨(バリトン)、妻屋秀和(バス)、高橋裕子(ピアノ)の皆さん。当協会理事長の小畑恒夫が解説を行いました。
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 普段聴きなれたイタリア語のミラノ版(4幕)やモデナ版(5幕)とは、音楽そのものが異なる部分もあるほか、同じ音型でも言葉の響きが異なるため、新鮮に聞こえだけでなく、ヴェルディが当初意図した音楽の美しさを改めて認識させてくれるよい演奏であったと思います。
 終演後にフォワイエで開催された懇親会でバスの妻屋秀和さんが語ってくれた話によると、彼は既にフィリップ(イタリア語ではフィリッポ)のアリア<ひとり寂しく眠ろう>を20回以上歌っているそうです(彼には一昨年の第15回マラソンコンサート「為政者たちの運命」でもこのアリアを歌っていただきました)が、フランス語で歌ったのは初めてとのこと。20170923marathon02tsumaya.jpg
 しかしながら、見事な歌唱で、この曲が本来もつ響きを明らかにしてくれたと思います。
 そのほかのソリストの皆さんも、実力を発揮し、聴きごたえのある演奏を披露してくださいました。
 懇親会で聞こえてきた聴衆の方々の感想も、非常に評判のよいものでした。
 また、今回の懇親会では、歌手の方々と個別に交流するだけでなく、マイクをつかって皆さんの前で興味深いお話をいろいろ話していただく機会も作ることができ、楽しんでいただけたと思います。
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